「女性優遇は逆差別とか言ってる人は、議論を理解する気がないとしか思えない」

「私が普通にお金を稼いでいれば、とっくの昔に離婚してた」という母の言葉に強烈なインパクトを受けた大川さんは、女性の経済的自立を非常に重視するようになったと言います。

企画説明

どうすれば私たちは他者への想像力をもう一度取り戻し、異なる他者と対話をすることができるでしょうか。私は長い間それについて考えてきましたが、いまひとつの仮説を持っています。それは、意見や主張の背景にある、その人の物語を共有することです。

理解できない、異常な、よくわからない人として否定しあうのではなく、むしろどのような経験が、その意見や主張を生じせしめたのかを尋ねることから始めたいと思うのです。「なぜこんな考えを持つのだ、それは間違っている!」という姿勢ではなく、「なぜそのように考えたのだろう。この人はどんな経験をしてきたのだろう?」という姿勢で、様々な対立を捉え直したいのです。

同性愛者を非難する人、出生前診断を肯定する人、外国人への生活保護に反対する人、いきすぎたフェミニズムを攻撃する人、天皇制を廃そうとする人、公人の靖国参拝に賛成する人、育休・産休制度を進めたい人、様々な人たちの「声」を取り上げ、その主張や意見以上に、その物語を尋ねる旅をしていきます。

(ステートメント全文はこちらから)

女性にとって、どっちかしか選べないような社会になっている

ーー早速ですが、多様性という記号を聞いて、あなたはどんな議論を思い浮かべますか? 特に、ご自身が強い感情を惹起されるものを中心に教えてください。

多様性って聞くと惹起されるものは、まず最初に自分はそういうのは割りと好きだな、大事にしたいなという気持ちですね。

具体的には、女性の経済的な自立とかは即座に出てくるし、LGBTQとかセクシャルマイノリティーに関してもそうだし、ひっくり返って逆に男らしさを要求されて苦しんでいる男性についても割りとパッと浮かんできますね。

ーーそういったトピックに関する、あなたが強い意見や主張を持っているものについてお話いただけますか。

僕はやっぱり女性の経済的自立に関してはかなり強い関心があると思います。よくある議論は女性が社会的に自立したり、経済的に力をもつと、出産とか育児のインセンティブが落ちて、少子化が進むよねとかって聞きますよね。

「だから、女性はそんなに働かないほうがいいとか、働けないようにしたほうが良い」とかって聞くと、全然意味が分からなくて腹が立ちますね。

僕はもう明確に女性の社会的・経済的な自立はできたほうがいいと思っています。例えば管理職とか経営者層における女性の数がめっちゃ少ないとかは数字目標を持った方が良いと思うんです。

数字目標なんて表面的だからだめだよと言う人もいると思うんですよね。そういう議論もある。実際、最近、女性の管理職30%を目標みたいなのが、2020年の目標だったのが、とんで2030年になるだか、もうその目標に期間を設けないみたいなことを言ってるらしいんですけど、そういうの聞くと嫌だなって思いますね。

ーー具体的に、その主張の背景にある価値観や考え方をお教えいただけますか。

いくつか論点はあるのですが、女性が社会進出したから子育てとか出産が減ったのかみたいな話っていうのは勘違いされてると思う。それは要するに、女性にとって、どっちかしか選べないような社会になっているからなんですよ。経済的な自立を目指す人からすると、出産、子育てが自分の機会にとって邪魔になってるってことだと思うんですよね。

女性が社会的に、経済的に頑張るから出生率が下がるとかっていうのはおかしくて、その人たちが働きながらとか、その人たちの経済的自立を諦めない形で、普通にキャリアを育てられれば良いわけであって、それができないのは会社とか国の制度の怠慢なんですよ。

もっと具体的に言うとどういうことかって言うと、例えば女性のキャリアが一回出産とか子育てで中断して、戻ってきた時に、そのポジションを保障しておく制度とかって国によってはやっていて、成立する。いま日本でもそういう制度を取り入れている企業もあります。

そういうことをやらないで、だから女性が働いたら少子化になっちゃうからダメだよね、やっぱり女性が働いてちゃダメなんだじゃなくて、女性も働けて、且つキャリアを保ちながら出産ができるような仕組みを作ればよい。それは例えば、男性が育休を取るとか産休を取るとかも必要でしょうし、国としては待機児童の問題とは向き合う必要があるでしょう。

そもそもマネジメントとか採用の問題もあるんですけどね。今だとジョブ型雇用を日本ではしてないことも、上記のような仕組みを取りづらい背景になっていたりして、それは新卒採用とかの問題もあるんで、ちょっと話が長引いちゃうので止めますが。

でも、それは単純に社会のシステムの問題であって、解決できるはずなんですよね。それをちゃんとやりたいと思えば。それをしないで、女性の社会進出が問題だ、子供が少ないのは問題だっていうのは、ちょっとよく分かんないなと思うところですね。なんで二者択一にするのかわからない。

女性が働き始めたから、自分たちの雇用のパイが減った

ーーそれでは、ご自身とは異なる意見を持っている人たちは、どういう価値観を持っていると考えられていらっしゃいますか。

えっと、いくつかあるのですが、ひとつは日本が単純に不景気になって、稼げなくなっていき、派遣とかがどんどん出てきて、元々女性の一般職採用の人とかが派遣で置き換えられたり、女性の子育てした後の人がパートタイマーっていう形で雇用を安定させてきたわけなんですけど、それがどんどん男性にも出てきて、今いろんな人が本当に派遣とかで働いてると。

で、これって女性が働き始めて、雇用のパイが減ったから男性が派遣になったわけじゃないんですよ。単純に派遣の法律改正とかがあって、且つ不景気になってきたこともあって、雇用を確保しきれなくなってきた会社が企業が、それをどんどん派遣という形で、自分たちのコストが低い形で人を雇うようになっていったという背景がありますと。

なんだけど、男性陣からすると、おそらく思うはずなんですよね、「女性が働き始めたから、自分たちの雇用のパイが減った」みたいな。

で、さらにそれに付け加えて、男性に対するある種の圧力もあるはずで、男性がお金を稼いで、経済的に安定してる状態で、女性は家の中に入って、子育てができるみたいなもののほうが格好良いというか、それが男性に求められたスタンダードでもあった。

これも相まって、多分、女性が社会に出てきたせいで、自分たちの社会的な義務とか責任が果たせなくなってしまったっていう、多分忸怩たる思いというのもあると思うんですよね。就職氷河期世代の男性とかって非婚率もめっちゃ高いんですよね。

子育ても当然ながらしない、配偶者もいない、恋愛もしない、子供もいないってなってくると、そういうスタンダードを自分の中で抱えていたり、周りにそういう人が多かったりすると、かなり辛い状態だと思うんですよね。

それは、女性だけの問題っていうよりは、むしろ氷河期世代っていう一瞬の不景気に対する対策を国も会社もやらないで、その時の人たちは採用しません、派遣になった人たちは正社員雇用しませんっていう対応が大問題だった。

別に氷河期世代の人たちは能力が低いわけじゃないのに、ただ運が悪いだけで、そんなふうになってしまったのは、とても辛い話だと思います。しかし、そういう背景を考えると、本来女性の社会進出と雇用の悪化は関係がないのに、分かりやすい対象として、攻撃対象になってしまっているんじゃないかな。

それはアメリカとかがいわゆる貧困層の白人が移民に対して「移民が入ってきたから雇用がなくなったんだ」とかって言っちゃうのと同じで、問題の本質からずれてるんですけど、でもまあ、身近な問題として出た時にそう見えますよね。

全ての人間が出産をするなら、出産を前提とした人事制度を構築したはず

ーー経済の状況が悪くなって雇用が安定しない男性が増え、特に性別役割を内面化している人からすると、女性が社会進出していくことは、認めがたい悔しさのようなものがあるということですね。

その人たちが怒りをもつのは分かるなあと思ってて、それは他の例をあげると研究者のポストとかもそうなんですよ。アカデミアのポストとかも、今結構、公募が出た時に、「同等の能力であれば女性を優先的に採用します」とかってもう書いてるんですよね。

それって特に若手の男性研究者からするともちろんですけど、女性ですらこれは不平等だと思う人もいると思います。そういうポストは能力で測るべきだと考えるからですね。

特に男性からすると、不利になるわけだから簡単に受け入れられることじゃありませんよね。今、若手研究者が自分のキャリアを築いていくのすごい大変な時代なんですよ。研究者も非常勤とかつまり派遣的な不安定な雇用状態はたくさんありますから。

みんな、正社員的な、いわゆるテニュアと言われる職業を取りたくてしょうがないわけなんですけど、そこで輪をかけて女性を優遇する公募は、男性だってすげー大変なのに、なんで女性を優遇するんだとかって怒りをもつ人たちがいます。

でもそれは、時間軸を伸ばしてみると話が違って見えてくると思います。女性の意思の話もそうですけど、女性の研究者は出産、子育てとかをしちゃうからキャリアが中断しちゃうので、研究業績だけを考えると男性を雇ったほうがいいっていう考え方が元々あったりするわけです。

あるいは「男は家族を養わなきゃいけないから」と面と向かって言われ、自分よりも能力の低い男性がポストを獲得した、という経験をした女性研究者も知り合いにいます。これって構造ですよね? そもそも女性が働けるような社会なら、男性だけが家族を養わなきゃいけないなんて思う必要はないんですから。

それは結局、そういうことを許容できない人事制度をもってるからそうなってるだけなんですよ。だいたい、世界中の全ての人間が生理をもってたら、生理休暇に近い制度が絶対あるはずなんですよ。全ての人間が出産をするなら、出産を前提とした人事制度を構築したはずなんですよ。

そういうのがないのは、結局そういう人たちがドミナントになってないから、そういうドミナントじゃない人たち向けの制度になっている。

例えば、長時間労働を良しとする文化っていうのは長時間労働をしていいやつらにとっては得だからなのであって、例えば子育てとかがあったら、長時間労働文化絶対ないんですよ、だってできないから。できないことを重視する価値基準っていうものを置かないはずなんですよ、人は。

なのに、そのルールメイクする側に多様性がないから、その時の初期の段階でパワーとかドミナントであった立場の人間が、自分たちができることを良いという価値観の文化や制度にするから、それ以外の人たちがそこで評価されるのがすごく難しくなるんですよ。

こういう制度的な問題があって、そういう構造があるから、今、女性の研究者が少ないとか、女性の社員が少ないとか、女性の管理職が少ないとかっていうのがある。

というのを考えると、そもそも意思決定のレイヤーにそういう人たちが入ってこないと変わるわけがないんですよね。そういう意味で、その意思決定に関わっていく人の多様性を確保するためには、外圧のような形で数字目標をおくことは道理だと思います。人間、自分が損するルールを自分で作れるほど、全体効率のためには生きられないですから。

転勤をさせたがる会社って、今優秀な人がどんどん来なくなってる

ーーここで全体効率とはどのような意味でしょうか。

例えば、女性も働けるようにしないと、経済的な発展ができない、労働力半分になってるわけだから。女性の力もちゃんと生かせたほうがいいよねとか。これはすごい生産性の観点によった発言ではあるけれども、間違いないでしょう。高齢化で労働人口が減ってるとか移民が必要だとかって話がありますが、それって本当ですか?

今まで、本来活用可能だったさまざまな生産性、例えば、障害をもってる人だって、障害をもってても関係なく働ける環境にすれば、生産性をもった労働力として機能できるものを、そういう文化や制度をもってないせいで生かせてなかっただけ。

まさに障害をつくってるのは社会だっていうことだと思うんですけど。それと女性の話とかも同じ。一番最初に戻ると、出産とかをするんだから、女性は働かないで、家にいたほうがいいとかっていうのも同じこと。

そういうものをちゃんと含んで、その人たちの目線に立った時に、その人たちが働きやすいようなふうにしたら、全然その人たちは働けるのに、その機会を死ぬほど失ってきたわけですよね。この日本という国は。

例えばですけど、転勤をさせたがる会社って今優秀な人がどんどん来なくなってるんですよ。なぜならば、転勤ってすげーコストなんですよね。労働者からすれば、自分がそこに育ててきた社会関係資本を失うわけなんです。友達とも会えなくなるし、家族とも離れるし、特に結婚とかしてる場合に関しては、配偶者の労働の職とかも奪ったりするし、人間関係も奪うわけじゃないですか。すごいリスキーなこと。

だから本当に今って、転勤ある仕事への人気ってめちゃくちゃ下がってるんですよね。なんでかっていうと、それが許されていた背景っていくつかあって、ひとつは男性しか職をもってなくて、且つ職をもってることが大事だったから、女性はついてくるものだったんですよね。そうじゃなくなってきた社会においては、女性ついてきてくれないわけですよね。私も仕事あるしみたいなね。

だったら、男性は結婚してからのリスクを考えると、転勤がない仕事のほうがいいとかってなるじゃないですか。すると、その会社の採用力が落ちるわけですよね。優秀な人材なのに、自分たちが転勤っていうクソ制度をもってるせいで、優秀な人が来ないってなったら、変わらなきゃいけないんですよ。

ダイバシティー経営っていろんな意味があるけど、主な目的は間違いなく採用力とイノベーションの二つなんですね。その点において、本来であれば、有能でうちでめちゃくちゃ活躍できる人なのに、機能できない文化や制度をもってると、他のところにいっちゃうから、自分たちの競争力が落ちるから多様性をもたなきゃいけないってこれは、別に企業だけじゃなくて、国単位もそうで、そういう戦いがあるはずなんですよね。

数を最初に目標としてやるのは間違ってるみたいな意見に対しては、そもそも今の状況のルールを作っているのがパワーとかドミナントもってる側なので、そこに一定の数をもつように仕組みとしてつくらないといけない。

ドミナントもってる人間は当然ドミナントの権力を失いたがらないので、外部からの介入なしではできなくて、それは人間が愚かだからなんだけど、それは仕方ない。ずっと有利な社会や制度でやってこれたんだから、それを維持したいと思う気持ちはわかる。

最近も医学部で、女性と浪人生とかに対して、マイナスの減点をしてたとか、男性の一般の人に加点してたとかあったじゃないですか。あれも一応、根拠はあるっていうか、彼らの中での論理はありますよね。医者っていうのは体力的に大変な仕事だから、すぐ辞めちゃったり、寿退職しちゃったりする女性よりも、男性を雇うべきだみたいな話があって、それも結局そっち側の構造が間違ってるじゃないですか。

女性が働けたほうがいいでしょ、普通に考えて。めちゃくちゃなハードワークになっている要因の一つは医者不足なんじゃないですか。優秀な女性が落ちてるんだから、その分育てればよいでしょう。

出産や育児ができない職場にはもう持続可能性がないんですよ、そっちを変えないと始まらないですよ。女性が多い職場である看護師だって存在している中、女性は出産や育児でいなくなるからダメなんだ、というのはどう考えても道理が通らない。

なんだけど、そういう人たちを排除して、マッチョな人たちしかやれない環境にしてるから、ドミナントの人たちにとって、ドミナントの人たち以外を受け入れないような制度にしているから、採用の段階でも排除の論理が働いてる。

やるべきことは、女性であったりとか一日中働かなきゃできないような制度であることを改革すること。且つその改革をするためにはそこに問題を抱えて、変えたいと思う人がいなきゃいけないわけで、するとやはり、そこに多様性をもった人材が入らなきゃいけないんですよ。

入学の段階で省かれちゃったら、誰も問題意識をもって、組織を困ったり、これ何とかしなきゃいけないって思ったりしないわけじゃないですか。入ってって葛藤を覚えて、改善したいと思ってやっていき、且つその人に権限をもたせるためにも、一定のパーセンテージをもって、クオーター制で例えば、女性の管理職30%とか、経営者の役員比率何%だっていうのは、俺はすごい理にかなってると思いますね。そうしないと、それができないから。そして、腐敗して、生産力を失ってるのが現状なので。

でもやっぱ今パワーがある人は、今の自分のパワーを削るのが嫌なんですよね。それでたとえその業界が終わっていったとしても。それに立ち向かうためには、外部的な圧力っていうのはすごい大事だと思っているので、そいつらが何て言おうとあんまり関係なくて、ある程度の数字目標をもつことは重要だと思います。

ちょっと話長くなっちゃったけど。数字目標に反対する人たちに対して思うところはこういう感じですね。

ダイバーシティを考える規範的な視点、実際的な視点

ーー何度かダイバーシティという言葉を使われていらっしゃいますが、具体的にはどういう人たちを想定しているのでしょうか。

それは本当にものすごいバリエーションがあって、簡単には言えませんと。例えば、障害をもってる人を入れましょうとかっていう話において、障害って種類と程度があって、例えば精神的な疾患を抱えてる人もいます、肉体的な疾患を抱えてる人もいます、重度の人もいれば軽度の人もいます、そうやってどれを入れれば本当の意味でも多様性になるんですかっていう質問に対しては、本来的な線引きは不可能じゃないですか。だって、本当に無限の多様性があるから。

一般に健常者だって言われてる人たち、例えば、身長とか体重とかだってもしかしてそうかもしれないし、髪の毛の色とかだって多様性の中に含まれるかもしれないわけですよね。そういう意見もあると思います。

ただ、これに関しては規範的な考え方と実際的な考え方があって、分けて考える必要があるでしょう。まず規範的な話からすると、本来的にはそういう全ての要素をできるだけ抽出して、そのダイバシティが最も反映されるような組織なのが望ましいんじゃないですかっていうのがありますと。

できるだけ細かい差異まで理解した上で、それをデモグラフィックに理解した時に人口の何%はこういう属性をもってる人なので、こういう属性の人を5%入れましょうとか、女性であれば50%なので、当然50%入れましょうってなるし、身長、体重までいくとちょっとあまりにも突飛な例ですけど、ちょっと適当だけど、文系と理系を半々で入れましょうとか、海外経験がある人を入れましょうとか、障害をもってる人を入れましょうとか、そういうことをやっていくという規範的な要素はあるでしょうねっていうのが一つ目。

実際的な話をすると、こういうのはパワーゲームなんですよね、絶対。パワーゲームで誰が勝つかだと思います、基本的には。だから、例えば、今まだ認められてるものと認められてないものとかを考えると、女性の権利、黒人の権利は相当回復したはず。奪われていたわけだから回復したわけですけど、これはもう本当にポリティカルなゲームの話に過ぎないとは思いますね。戦い。

黒人であるということをちゃんとイシューにして、運動を起こし、問題化して、あ、LGBTQもそうですね、セクシャルオリエンテーション&ジェンダーアイデンティティ、SOGIもそうですけど、パワーをもつに至ったから、例えば政治のアジェンダにあげることができるようになってる。

ちょっと話が分かりづらいかもしれないですけど、なので、マイノリティというか多様性を包摂していこうと思うと、最終的にはあらゆる人間の差異を理解したうえで、デモクラティックにやらなきゃいけません、いけないのかもしれない、規範的には。

一方では、現実的にはそんなふうには全然ならなくて、むしろ血なまぐさいバトルによって、それが成立していく。例えば黒人とかだと白人専用のバスに乗って、皆に水ぶっかけられたり、出てけとかめっちゃ言われながらもそのバスに乗るとか、黒人女性で初めて学校に行った子とかって、確かずっとボディガードついていたんですよ、殺されるかもしれないから。

ちょっと女性の話に戻すと、女性のパワーが出てきた時ってどんな時だったかっていうと、女性がお金を稼げるようになった時なんですね。

女性が購買力をもつと、企業は女性向けの販売商品をどんどん作るんですよ。女性は自分でお金を稼ぐと自分のためにお金が使えるから、そうするとクソださピンクみたいな商品しかなかったのが、ちょっとセンスの良いもののほうが売れるとかってなると、女性が求めてるものって何なんだろうとかってなってくると、女性を開発陣チームに入れたりする必要が出てくるっていうふうにして、好循環が生まれてくるんですよね。

経済的なパワーをこの集団がもってるって分かると企業はそれに対応するので。女性は間違いなく、そういう要素がありました。

SOGI、LGBTQ的にもクリエイティブ系な人たちがお金もってるとかっていうのもあって、そういうダイバシティのある都市のほうがクリエイティビティパワーみたいなのがあって、都市の税収が増えるとかっていうデータもあるんですよ。

だから、クリエイティビティを受け入れる、ダイバシティを受け入れるっていう政策とかをやってる都市とかもいっぱいあって、もちろん国もある。カナダとかもバリバリそうだと思うんですけど、渋谷区とかもすごい意識してやってたりするんですよね、そういう人たちがいられるように。

それは何でかっていうと、もちろん人権的な側面もあるけれども、それだけじゃなくて、その人たちがもってるパワーみたいなものがもったいないわけですよね。さっきの企業がダイバーシティを必要とするのと同じ理由。

現状のままだと来てくれない人たちに来てもらえるようにするために、制度や文化を変えて、その人たちが来る。来ることによって、イノベーティブなものだったり、生産性が上がる、生産性が上がると受け入れ側が嬉しい、だからやるっていう側面が間違いなくあるから、そういう意味では規範的な議論は置いておいて、単純にポリティカルないしパワーゲームな側面もあるだろうなとは思います。

そうやって、お金とかパワーをもつと、それを政策、アジェンダとかにあげられるようになる。例えば、LGBTQフレンドリーとか、SDGsを大事にしている会社じゃないと行きませんっていう優秀な人たち人たちがいっぱいいると、会社は変わらざるを得ない。そういうふうにアジェンダを設定して、パワーゲームをやるっていうのも大事なことだと思いますね。

「私が普通にお金を稼いでいれば、とっくの昔に離婚してた」

ーーありがとうございます。それでは、コンサルティング会社で働かれている男性、それだけ聞くとドミナント側にも見えるご自身は、なぜこれまでお話しいただいたような問題意識を抱えるに至ったのでしょうか。

明確に理由がありますね。二つあります。ひとつは母親の発言ですね。母親が「私が普通にお金を稼いでいれば、とっくの昔に離婚してた」って言ってたことがあって、僕が小学校か、中学校かぐらいでしたけど。

母親は何をやってるかっていうと、元々は働いてなくて、でも、子供の教育資金とかのために、パートとかを始めるみたいな感じで、新聞のお金を徴収する人をやってて、月末に口座振込とかじゃない人に対して、現金で受け取りに行く仕事をやったりしてたんですよね。それ本当微々たるもの、微々たるものって言ったら失礼ですけど、月に2、3万とか、もうちょっと少なかったかもしれない、それをやってましたと。

で、父親ももちろん、仲良い時もあれば、喧嘩をする時もあるわけですけど、その喧嘩をする時とかに思ったんでしょうね。もし自分がお金持ってたら、普通に離婚して、自分で子育てしたのにと思ったと思うんですよね。

実際、父親がだんだんお金を稼げなくなっていって、転職とか出向とかいろいろあって、給料が下がったりすると、彼女も徐々に働かなきゃいけない量が増えてくると。で、そのパートをやって、介護職員でやったり、デイサービスとかやったり、いわゆる女性ができるタイプの仕事みたいなのをいろいろやりました。

給料そんなめっちゃ高いわけではもちろんないですけど、徐々に家計の収入における割合が高まっていくわけですよね。夫が働く、その収入が落ちていったりするのと比例して。すると、やっぱり話し合いの中での発言力とかが変わってくるわけなんですよね。誰の言うことを聞くのか。確かに、私の収入は少ないけど、私の収入なしだと成り立たないでしょって言えた時に、全然変わってくるんですよね。

それまで、誰が飯食わせてやってると思ってるみたいなことを言われるわけじゃないですか。仕事頑張ってる自分のほうが当然偉くて、家庭のことをやってるのはそんな偉くないみたいな。

俺からするとそれは二人のプロジェクトなので、別にどっちが正しいとかなくて、お金を稼いで来ないとこの家庭が成り立たないし、この家庭が成り立つことがプロジェクトの目的なので、お金を稼いでくることは機能の一部に過ぎないのに、なんか知らんけどそれをやってるほうが偉いみたいになってて、僕はそれが非常に気に食わない。

それが分かってる上でどっちかが稼いで、どっちかが家庭のことをやって、役割分担みたいなものをどちらも対等にリスペクトできるのであれば、別にそれは問題ないんだけど、どっちかがこっちが偉くて、そっちはそんなに大したことじゃないよみたいなふうな話になると、非常に強い怒りを覚える。もう腹が立ってしょうがないですね。それはずるいし、間違ってると思う。

なぜならば、それは構造の問題があるから。男性しか稼げない社会だったから。男女雇用機会均等法がない時とかって、女性って結婚しないと生きていけなかったわけですよね。それはものすごい不自由なこと。で、しかも相手が対等に思ってくれてるならまだしも、実際はそうじゃない。お金稼いでる俺のほうが偉いと思ってるやつと結婚しなきゃいけない場合があるし、それは内面化されるほど社会の価値観としても間違いなくあった。

で、子育てしたくて、子供生まれちゃったりしたら、子供達を置いて出ていくこともすごい精神的な負担かかるからなかなかできない。ものすごい板挟みですよね。こんな社会じゃなければ、こんなふうに生きてなかったって確実に思うと思う。俺が逆の立場だったらって絶対に思いますからね。そう考えると、やっぱり女性が働けない社会とかってもう論外。僕の中では。全く不平等な社会。

男性が男性性を押し付けられてるっていうのも大問題だ

逆に男性が育児側にまわれないのも不幸なことだなってすごく思う。もしかしたら、家庭のプロジェクトをやるほうがはるかに得意な男性である可能性は全然あるし、女性のほうが稼げる人だっているだろうし。そこがジェンダーロールによって、縛り付けられるんですよ、お互いね。

そういう意味で言うと、だから一番最初に言った男性が男性性を押し付けられてるっていうのも大問題だと思うんですよ。稼がなきゃダメ、働かなきゃダメ。且つ昔なら特に、女性が働けなかったわけだから、男性が一人で一家の責任を負ってたわけですよね。それは物凄いプレッシャーだったはず。だから転勤とかも受け入れるしかないですよね。

いくつか理由があるんだけど、例えば転勤をしたくない場合も、新卒一括採用が強すぎて、転職が許されない場所だと、会社の言うこと聞くしかないんですよね。でも、転職が緩くなると、それがあったら嫌だって言って断れるようになる。

会社が社員を養う代わりに、社員は会社の言うことを聞けっていう仕組みなんですよね。構造がそうなってる。なんでそういう構造かっていうと、転職を許さず新卒を重視し、忠節を誓わせるようなものがある。

それは今の話とアナロジーとしては、ほぼ同じですよね。結婚した以上はそっちの言うことを聞け、金は払うのだからと。それ以外の選択肢がない社会はそれに従うしかない。初期のステータスで決まってしまうのが、もうすごい気に食わない。

とても息苦しい社会です。男性女性問わず、選ぼうと思えば選べる選択肢が多くないと、その「初期環境」に違和感のない人だけが生きやすい社会になってしまう。つまり、マジョリティでドミナントな考えを内面化できる程度に、その社会で求められることを達成できる人だけが生きやすい。

「女性の存在価値は子供を産むことのみ」とされる社会で妊娠できない体の人はあまりにも生きづらいし、逆に無精子症の人もそういう価値観を内面化していたら苦しむんじゃないでしょうか。

社会に許される価値観が少ないと、逃げ場がなくなってしまう。何度も言っているように、それによって発揮されるはずの価値や魅力も発揮されなくなってしまう。これは恐ろしい状況なので、減らされるべきだと思います。

もちろん主婦になりたい人もいるだろうし、自分で家族を養いたいと思う人もいるでしょうから、それはそういう組み合わせで結婚すれば良い。それ以外の選択肢が難しい状況であることは解決されるべきだと思います。

「やっぱお母さんしか寝かしつけられないから」

ーー今の価値観を持つに至った背景は2つあるとおっしゃっていました。1つ目が母親の経済的自立ができれば離婚していた、というお話でした。2つ目はなんでしょうか?

僕が物心ついた瞬間からLGBTQと呼ばれる人間だったっていうのがすごく大きいですね。あらゆる人が語る「当たり前」が、俺にとっては根本的に分かんなかったんですよね。

「男は男らしく」とか「恋愛は男女でする」とか、全然理解できなかった。僕からしたら、僕の生まれたそのままが変だって言われてるわけですから、逆に僕からしてもそんな社会は最初から受け入れ不可能でしたね。

だから、セクシャルマイノリティーとか、ジェンダーアイデンティティの側面で、しんどい思いをしている人はめっちゃいて、それに対する共感みたいなのはすごくあります。加えて、ジェンダーロールの押し付けにも納得がいかないですね。

なんで男性だからこうなんだろう、なんで女性だからこういうことになってるんだろう。本当に女性だからケアってしたいもんなんだろうかと。例えば、僕がよくムカつくのは、「やっぱお母さんしか寝かしつけられないから」とか言って、お父さんが寝かしつけやらないとかあるじゃないですか。

あれって絶対認識を間違ってると思うんですよ。寝るまで寝かしつけをするから、寝かしつけができるようになるのであって、そこの責任とか覚悟の問題なんですよね、単純に。

やったことがあるかどうか、やる気があるかどうかなんですけど、それを安易に構造上女性がやってきたことだからといって、女性が得意とかって言ってるやつを見ると、本当頭悪いなって思う。

だって、子供が寝るまで諦めずに寝かしつけしてたら、できるようになるから。母親だって最初から子供の楽な体勢とか、寝そうになってきたシグナルとかってわかるわけじゃないでしょ。わかろうとして、なんとかかんとかやってるわけですよ。なかなか寝てくれなくてうんざりしたり、腹が立ってくる事を乗り越えてやっているわけでしょう。

世の中にはいろんなコミュニティがあって、使ってるものさしが全然違う

ーーありがとうございます。他にはどんな経験がご自身の価値観に影響していると思いますか?

留学は大きかったですね。海外留学して初めて、一番大きな体験になったのは、そんなたくさん友達はできなかったんだけど、できた友達とはすごくよくしゃべる仲になったんですよね。毎週カフェに集まってしゃべるみたいな。

欧州に留学していたのですが、ムスリムの女性ともすごく仲良くなって、いろいろ話したりしていく中で、まず第一にドミナントなるものってのはすげー複数あるんだってことに気付いたんですよね。

日本におけるドミナントはこうだけど、この国におけるドミナントはもっと別のドミナントもあるんだみたいな。ドミナントって絶対的なものじゃなくて、社会環境とか時代背景によって、変わるものなんだなっていうことをまず学びました。

しかも「欧州」「ヨーロッパ」と聞いたときにイメージする以上の多様性がそこではたくさんあって、男性らしさや女性らしさへの疑問と同じように、「欧州らしさ」というものも、非常に多面的で多層構造になってるんだなと実感しました。

別に日本人の友達がいっぱいいるわけじゃないので、言語が違っても、国が違っても、宗教が違っても、性別が違っても、すごく仲良くなる。お茶飲み友達みたいなのできるっていうことの安心感がすごくあった。

自分が生きる場所がここだけじゃなくて、他にもあって、それは自分で選び取ることが可能なんだって思えた。それはすごい自分にとって、生きていく安心になりましたね。

ーーそれも先ほどおっしゃっていた「社会に許される価値観が少ないと、逃げ場がなくなってしまう」という話とつながってきますね。

世の中にはいろんなコミュニティがあって、使ってるものさしが全然違って、自分に合うものさしを見つけるまで、逃げ続けていいなあとも思っているんですよね。自分は田舎に生まれたので苦しかったですが、都市にでてきて非常に自由を感じましたから。

そういう意味で言うと、会社も保守的でバリバリで転勤しまくるマッチョな会社があってもいいし、ダイバシティーに富んだ会社があってもいいっていう主張は理解できます。

自分にとって良いコミュニティを探せばいいのであって、別に既存のコミュニティを全部そっちにもっていく必要はないのかもしれない。例えば、女性管理職30%を全社に強いることが良い事なのかという。政治家とかは他の選択肢が少なすぎるので明確に定めるべきだとは思いますが、民間企業ならいろんなところがあったほうがよいのかもしれない。

マッチョ集団の会社があってもいいじゃんみたいなのは、ある意味ではイエスかなと思う一方で、外圧なくして変わらない問題で、かつ女性が積極的にキャリアを築ける社会を国が目指すのであれば優遇策はとる必要があると思う。

例えば、上場企業の30%がその女性役員比率30%を超えることをゴールとするみたいな。全社に押し付けるというよりは、そういうふうな部分的な目標、全体としてバランスがとれるような目標に置きなおして、且つ優遇策をとる、補助金を出すとか、税制の優遇をするとかっていうのは、反対意見を持つ人も受け入れうるかなという気がしますね。

「そんなこと言うのは母親失格」

ーーご自身の考えが育まれてきた背景は少しずつ見えてきましたが、家族とは、そういう考え方は共有できていたのでしょうか。

母親との話は、他の兄弟は知らなかったはず。言ってたのかもしんないけど。実際に帰省した時に、家族、兄弟でそれをしゃべってて、長男が「そんなこと言うのは母親失格」みたいなことを言ってて、本当こいつとは絶対そりが合わないなって思ったんですが。そういうことがありました(笑)兄弟間でもみんな同じ考え方というわけでは全然ないですね。

ちなみに、その長男はなんでそういうことを思ったかっていうと、俺は思うところがいくつかあって、彼は離婚してるんですけど、まあ再婚もして、今子どももいるんですけど、最初に離婚した時って、長男がめっちゃ借金とかをしてパチンコ行ったりバイク買ったり。

元奥さんは保育士さんの資格持ってたけど、結婚するためにやめてて、収入源がない状態で結婚前に妊娠もしていて、子育てもしてる段階で、お金ないのに買って、さらに浮気もいろいろして。

そういうふうにいろんな選択肢を奪った状態、僕からすると奪った、人によってはそれは別に女性の合意もあったことなのだから、別にどちらかを責めることではないですよねという考え方もあると思うんですけど、僕からするとそういうふうに見えるような中で、結局離婚をして。

元奥さんは実家がそこそこ太いんですよね。実家がそこそこ太かったから、ある程度我慢した後は離婚ができたんだけど、それって要するに、経済的にある程度安定している基盤があるから。

そうすると安定的に基盤がないほうがそういう男にとってはいいんですよね。それ以外の選択肢を奪えるから。でも、それってひどい話ですよ。自分以外の選択肢を奪って一緒にいようとするのは怖い。自分に自信がないのかもしれない。

世の男性でも、そう言う人は多いんじゃないでしょうか。もし女性が働けるようになったら離婚されちゃうんじゃないか、熟年離婚の危険とかって感じてる人とかいっぱいいると思うんですけど、結局そういうことだと思うんですよね。

自分がお金を稼げるという優位性のみで関係を築こうとすると、それは最後、退職金もらって離婚して半分もらわれたら、それでバイバイですよ。そういう歪な関係を生まないためにも、女性がもっと働きやすい社会にすること、男性だけに労働の責任を持たせない事は重要でしょう。

女性が1回子育てなどでキャリアから外れると、収入はめっちゃ落ちるし、戻らないんですよ、基本的に。一回元々のキャリア持ってて、外れちゃうと、元の収入ほど稼げない仕事しか就けなくなる。統計的に。

女性は結婚に関して、経済的にはかなり高いリスクを負って結婚するわけなんですよね。なんだけど、離婚とかして、且つ慰謝料もそうだし、養育費を払わないっていうのは、もちろん離婚事由によるけど、養育費払わないっていうのは本当にあり得ない。

ただ、今、改めて喋ってみると、長男がそういう、女性が経済的な自立はできない方が良いのだ、という背景を持って「母親失格だな」って言ったのかどうかちょっと分かんないなっていう気もしてきました。それは俺の価値観がそういうあの人の発言を、俺が読み取りたいように解釈したかもしれない。

単純に、そういうふうに思ってることを子どもに言うって不安がらせることだから、良くないことだと思ったのかもしれない。そういうことは子どもには言わないほうがいいっていう、ただそれだけのことだったのかもしれないと今思いました。

上の世代が得をしてきたことに対するツケを、あなたが払わされている

ーーこれまで主張されているような内容っていうのは、これまでの人生で変遷を遂げてきたものなのでしょうか。それともかなり前から同じような意見を一貫して持ってきたのでしょうか。

価値観は変わってないですけど、正当化理由は多分深まったし、広がったかなって思いますかね。当時は感情的にそういうのはなんか変だなって感じだったのが、経営学とか組織論とか勉強してると、あ、これって普通にダイバシティー組織にならないと採用力落ちるから、会社的に必要だねとか、経済学とかやってると、国としての生産性とかを高めるにあたって、今まで使えてなかった、あるいは計測してなかった労働力とか生産性みたいなものをきちんと理解して活用できる形にしないと国にとって損失であるというようなことの理解もできたので。

あとはたくさんの人と意識して話をしてきたことが大きいですね。これはこういうふうにしたほうがいいと思います。間違ってると思います。なぜならば、こう、こう、こう、この観点からもこう、この観点からもこう、この観点からもこう、だからですっていうふうに言えるようになっていった。

つまり、反対者はどういう意見なのか、どういう価値観なのかを読み解く……話し合える場をつくってきたから、あ、そういう理由で言ってんだみたいな。例えば、子どもができなくなるからダメなんだ、そういう理由なんだみたいな。それは解決可能ですよみたいな。

女性が労働の場を奪ってるっていうのもこういう理由がありますよとか、なんで女性の採用を優遇するんだ、その研究者のやつとかも、こういう背景があるからこうなんですよと。

例えば、男性で研究者である目の前のあなたがその損失を被るのはかわいそうなことではある。本来であれば、上にいる人間が責任をもって、退職してポストを渡すなり、制度を作るなりするのが望ましいんです。

そうはなってないので、残念ながら男性のあなたが今困ってるわけですが、それはあなたが女性に言うのではなくて、その上のやつらに文句を言うべきですってすごく思いますね。そういう社会にしたことに対する文句を言い、そういう社会を変えていく改善策をその上と考えるのは女性ではない。

そもそも女性という性が、これまで損をしてきたし、損を生み出すメカニズムがあるのだから、変わっていくために女性をルールメイクする側に加えようとしているわけです。男性の若手研究者が今損をしてるのは、上の人たちが不当に得してきたからなんですよ。

で、一個ちょっと別の話になっちゃうんですけど、すごい大事だなって思ってるのが、僕はいろんな問題を考える時に、ある問題構造をパズルではなく、ギチギチに噛み合って、外れない歯車みたいに考えているんですよ。

パズルはこっちに置いたり別にところに動かしたりするのは簡単ですよね。でも、ギチギチに噛み合った歯車だと、一個動かすのもどこが壊れるか分かんないから、すごく上手いこと考えながらやんなきゃいけなくて、過去から連綿と続いてきた、うねりみたいなものがあって、簡単に取り出せるものじゃないんですよね。

だからいま話しているような構造って、もう今は女性も普通に研究とかできてるんだから、そういう今さら優遇策とかは必要ないとか言ってるのは、このうねりを無視していると感じます。歴史的な経緯が分かっていないから、今この瞬間だけを見て、目の前の女性が優遇されてるように見えてしまう。

少し前の不当な取り扱いとか、その不当な取り扱いによって男性がドミナントなパワーを持ち、制度や文化が男性のドミナントなものを非常に優遇する形で成立してるこの社会において、いま目の前の取り扱いが「逆差別」なんだって言ってるのは、無茶がありますよ。

なんでこんな女性優遇に一見見える、一見差別のように見えるようなことをわざわざやってるのか、議論の背景を探る気がないな、と思ってしまう。

でも、その苦しみはこの社会的な制度の中で、あなたの上の世代が得をしてきたことに対するツケをあなたが払わされているので、そっちに怒ってくださいねってことまでしゃべらないといけないってすごく思いますね。

瀬戸際の時に、やっぱり人のことを配慮してる場合ではない

ーー上記のような主張に対して反対意見を持っている人たちには、どういう背景が経験があるのだと思いますか。想像で良いので教えてください。

一つ目は、現にその人も困っているということではないでしょうか。自分が不当な取り扱いを受けていると感じるとき、やっぱり他人に寛容な精神ではいられないですよね。

自分もこの非常勤講師を続けるのか、テニュア、いわゆる正社員みたいなポジションになって、ずっと給料もらいながら働いていけるのかっていう瀬戸際の時に、やっぱり人のことを配慮してる場合ではないっていうのは多分、絶対そう。

つまり、それはより大きな構造の問題ですよね。研究者のキャリアっていうより大きな国家としての問題があって、そのキャリアの安定させることができていない国や大学の制度の問題の中に組み込まれた問題なんだけど。

それはその人にとっては女性との対立と見えてしまって、余裕ないから当然そうなんですけど、大体そんなこと言われたって俺、社会のことなんて変えてる場合じゃねえからみたいな。俺の人生が今かかってるからってなっちゃった時に、いくらそういうことを言ったところで、そんな話してる場合じゃないんだ、という。

安定とか豊かさみたいなものがない状態で、他者への想像力とかこの状態に対する不合理さに対するアファーマティブアクションみたいなものを許せないだろうなみたいなのは一個理由としてはあるでしょうね。

積極的に主婦を楽しむ人だっている

二つ目が、素朴な価値観みたいなものかな。さっきかなり露悪的な言い方をしました。お金を払う側が「養ってやってる」と言いやすい社会のほうがその人たちにとって都合が良いとかっていうような嫌な言い方ですね。

でも、別に普通に自分の親が専業主婦とお金を持ってく父親っていう関係性の中で、そこに満足してた人たちもいっぱいいるわけですよね。「別に俺は、例えば学校終わった後に家に帰った時に母親がいて、おかえりって言ってくれて、ごはん作ってくれてて、そういうことすごい嬉しかったし、それが悪いことって言われてるような気がする」みたいな。

女性だって、女性の社会進出に関して必ずしも全員がポジティブではないですよね。「働くのすごくしんどいから家庭の中に入りたい」って思ってる人たちもいっぱいいるでしょう。あるいは家庭のことが得意だったり、好きだったりして、積極的に主婦を楽しむ人だっているはず。

こういう価値観の人たちが、息苦しくなることを恐れる人はいると思います。主婦であることや、妻に主婦になってもらいたいという気持ちを持つことが、まるで悪いことのように取り扱われることを恐れているわけですね。

僕は、そういう考え方自体をとても否定できるわけがないと思います。いろんな人が、いろんな選択肢の中から選ぶことができる社会である方が良いと思うので。

ただ、もともとドミナントだった価値観が相対的に弱まって、それを選べるけど窮屈な思いをする人が出ることと、ドミナント以外の選択肢が「選べない」社会とを比較すれば、どちらが許容可能かと言えば、間違いなく前者でしょう。

「主婦だとちょっと肩身が狭い」と思ってしまうような環境が生き辛いのは間違いない。そういう物差しを押し付けられるのは嫌なこと。でも、大前提として、選べているんだからいいじゃん。昔は自分で稼いで旦那の抑圧から解放されたいと思っても、働き口がなかった人たちからすれば、そんな悩みは質的には比べ物にならない。社会構造の問題でもない。

そういうふうに抑圧される気持ちになる気持ちがあるのは、まあ分からないではない。それはつまり異なるドミナントと出会った時に、自分がマイノリティになるという体験をマジョリティが初めてすることだと思うんですよね。

その感覚って、マイノリティが100倍くらい重く味わってるものを100分の1くらいのやつ味わいさせられたくらいで、ちょっと今までの窮屈になった、やりづらいみたいなこと言ってるのは「はあ……でも普通にその生活を誰かに咎められたり、制度的にアクセス不能になったり、別にしてませんよね」と思ってしまうのも事実です。

気持ちは分かるが、全然重みが違う。マイノリティの人たちが言えなかったこと、選べなかったこと、窮屈なこと、その発言をすると恥ずかしいとか、間違ってるとか、そういうふうに考えちゃいけないとかって言われてきたことが、「主婦なんだ〜」とか言われて肩身が狭いみたいな話と比べて、それは絶対に許されないというか、殺されるとか、例えば、レズビアンを公言してる人がレイプされて殺されたりするものとは比較にならないと思いますね。

そうあることが本当に許されない世界と、そういう考え方もあるよね、私はこっちのほうが好きで、あなたのそれはあまり好きじゃないなみたいなことが言える社会っていうのは、全然後者のほうがいいでしょ。

ーー家族以外に属してきたコミュニティでは、どのような価値観が主流だったのでしょうか。その変遷を教えてください。

えーっと、明確に変化してますね。子ども時代とか、小中高とかって明確に女性の経済的自立とか、SOGIの話とかについては、ほぼ理解はなかったと思いますね。高校くらいは、まあでも、なお、そう、かな。

専業主婦希望の人のほうが多かっただろうし、あとはそういう話をしなかったっていうのもあるかな。してもしょうがない、伝わらなそうだなみたいなのあったし、自分が十分に言語化ができてたかっていうと、そんなことないし。

セクシャルマイノリティとかジェンダーアイデンティティに対する、お笑い番組でいう扱いに近いとか。おねえがバカにされながら笑われるみたいなとかもそうだし、ゲイとかバイセクシャルとかレズビアンの人が気持ち悪がられるみたいな、ネタにされるみたいなことは大学でもあったかな。

経済的自立に関しては、大学でだいぶ変わりましたね。やっぱり大学に来るくらいの女性になってくると、その後のキャリアを考えられるポジションにいる女性も多いから、正社員でバリバリ働くつもりの人も当然にいた。

経済的自立に関しての男性の感覚も、大学で割と変わったような気もします。共働きしないと生活が厳しいなっていうのが分かってきた。昔ほど収入が安定しなくなっちゃったりとか、世帯収入で計算しないと割りに合わないみたいな。

男も一人で働いて、自分が潰れたら終わっちゃうみたいなのが怖いみたいなのもあると思うし、収入は減ってるし、派遣とかも全然あるから、就活もどうなるか分かんないしとかって考えると、女性が働ける人のほうが男性にとってもはや嬉しいみたいな価値観も、年齢が上がってくるにつれて、社会の現実を知るにつれて、そこの価値観、結構変わっていったのかなあって気がしますね。

セクシャルマイノリティに関するまわりの価値観、かなり変わったなというのは、留学関係の友人たちと出会ってからですね。海外留学をするような人間に、そういう要素があるのかもしれないけど、そういうことに対する差別的な言動は多分かなり減りました。

それはでも、彼らが本当にその価値観に共感してるかどうかということよりは、そういうことは恥ずかしいことだみたいな認識を持ったんじゃないかなという気もする。そういうLGBTQとかSOGIに関して、何か差別的なことを言うことがそこではドミナントではない。

そういうことを言うと、逆にバカにされるみたいな。めっちゃ差別主義だねみたいなふうになっちゃうことがあり得る社会、そういうコミュニティだと、そういうことは言われなくなっていくという側面があるのかなと思いますね。

結局人は誰でも自分がドミナントでありたい

ーー結局、どんなコミュニティにもドミナントなものはあって、それに合わないと抑圧されてしまう構造はあるということですね。

結局、それもさっきの話と同じで自分がより生きやすいコミュニティで生き続けてきたのかなという感じがする。裏を返せば、結局人は誰でも自分がドミナントでありたいということでもある。自分がマジョリティのコミュニティを形成したり、そのマジョリティのコミュニティに移住したり。

なぜなら、自分のありのままの状態を正当化しなくていいから。「なんでそう考えるんですか」って問われなくていいから。誰にとっても楽な状態だから、人は皆そういうところにいきたい。そうありたい。そういう気持ちは実はどんな政治思想の人でも変わらない。

今、マイノリティの運動をしてる人も同じ。自分がドミナント的に、ドミナント的にまでとは言わないが、そういう社会が嫌だから、自分が生きやすくするために変えようとしている。その人もまた、何かのマイノリティに関してはすごくドミナントである。

例えば、よく言われるのが、白人で女性運動をしてる人が黒人女性に対してすごい冷たいという話も、社会運動論の中ではあった。黒人女性が白人女性のフェミニズム団体に入れてもらえないとか。

他にも例を挙げると、フェミニズムの運動をしてる人が、トランスジェンダーの元男性というか、性自認が女性で肉体的性が男性であるような人に対して、結構きつい言い方をしてるケースもみる。

トランスジェンダーで女性になった人が、遠慮する人も多いようですが、女性用のお風呂に入ることや、女子大に入ろうとすることに批判的で、トランスジェンダーの人は入れませんみたいなことがある。実際、裁判にもなってるんですけど。これは難しいなって思った。

男性というものに加害を受けたことのある人とかからしたら、トランスジェンダーの元男性に根強い拒否反応があるのだろうなと思う。

さらに難しいというか、ときほぐすのが大変だなと思うのが、フェミニズム運動の中では基本的に「ジェンダーは構築されている」という立場を取ると思うので、女性はこういうふうにあるべきだって規範を批判しますよね。

一方で、トランスジェンダーの人は女性らしさが必要なんですよね。ここもすごい難しいなって思う。トランスジェンダーの人は、女性らしさってなんなのかを当然考えざるを得ない。僕の友人という狭い観測範囲ですが、トランスジェンダーの人でフェミニンな格好だったり、いわゆる料理や編み物、「可愛らしいもの」が好きな人が多いと思います。それってある意味、フェミニストからすれば「強くジェンダーに囚われている」ようにも見えるはず。

誰でもドミナントになりたくて、ドミナントになろうとする時に、何かを逆にドミナントじゃないものと見なして抑圧してしまうのかもしれない。

そういう時に、自分も誰かに踏みつぶされたはずなのに、また誰かを踏みつぶしてしまうような構造が、本当にめちゃくちゃ気を付けたり、気を付けた上で失敗した時に、ちゃんと対話して、自分を振り返ろうとしない限りできないんでしょうね。

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