「夫と夫の両親を大切にして、自分は犠牲にするものだ、とは思わない」

男性と同じように働いたり、出世することは難しいと子どもの頃から感じながらもキャリアを築こうとしていた柳下さんは、どのような過程を経て夫との生活と自分のやりたいことのバランスを取っていったのか。

企画説明

どうすれば私たちは他者への想像力をもう一度取り戻し、異なる他者と対話をすることができるでしょうか。私は長い間それについて考えてきましたが、いまひとつの仮説を持っています。それは、意見や主張の背景にある、その人の物語を共有することです。

理解できない、異常な、よくわからない人として否定しあうのではなく、むしろどのような経験が、その意見や主張を生じせしめたのかを尋ねることから始めたいと思うのです。「なぜこんな考えを持つのだ、それは間違っている!」という姿勢ではなく、「なぜそのように考えたのだろう。この人はどんな経験をしてきたのだろう?」という姿勢で、様々な対立を捉え直したいのです。

同性愛者を非難する人、出生前診断を肯定する人、外国人への生活保護に反対する人、いきすぎたフェミニズムを攻撃する人、天皇制を廃そうとする人、公人の靖国参拝に賛成する人、育休・産休制度を進めたい人、様々な人たちの「声」を取り上げ、その主張や意見以上に、その物語を尋ねる旅をしていきます。

(ステートメント全文はこちらから)

「男性と同じように働いたり、出世することは難しい」

ーー多様性という記号を受けて、感情が最も惹起されるのはどのような話題や議論でしょうか。ポリティカルコンパスの質問の中で、気になったものがあればそこから話していただいても構いません。

私は多様性という言葉を聞くと、まず働き方を思い浮かべます。特に女性の働き方ですね。女性の仕事を含めた生き方について語られるときに多様性を受け入れるとか「多様性を認めていきましょう」といった話が出るので。

ただ、私は「女性は絶対に働かなければいけない」って強制されている風にちょっと感じてしまっていて、それは違うんじゃないかなとも思います。

大木さんの記事を読んで、私、それまで多様性という言葉の中に女性が含まれていることに疑問を思ったことがなく、当たり前だと思ってたんですよね。

なぜかというと、私自身子供の頃から社会人として父のことがすごく尊敬していたし、憧れていたんです。父みたいになりたいっていうのをすごく思ってたんですね。

そのときに、例えば「管理職になりたい」とか「リーダーになりたい」と思ったときに、男の人だったらただ単に「管理職になりたい」「俺は出世するんだ」みたいなことを感じると思うんですけど、私の場合は「女性リーダーになりたい」とか「女性管理職になりたい」と考えていました。

絶対、修飾する言葉として「女性」という言葉が入ってたんですよ。子供の頃から男性と女性は違うっていう風に思っていたし、男性と同じように働いたり、出世することは難しいっていう価値観が既にありました。

実際小学生のときも、何か同じことをするにしても「男の子だから」「女の子だから」って学校で言われていましたから。同じような戦い方って言うとちょっと大げさですが、同じように同じフィールドで戦っても勝てないというか、目標を達成できないなっていう気持ちもありました。だから、多様性っていう言葉に女性が含まれていても何も疑問に思わなかったんです。

「あなたは女の子だから指揮者は出来ません」

ーーぜひ具体的なエピソードを聞かせてください。

例えば、音楽祭のときに、指揮者と伴奏者の人を希望者を募って出したりすると思うんですけど、私のいる環境ではピアノが弾ける子っていうのは女の子が多かったんですね。

私は指揮者がしたかったんですけど、先生たちは指揮者と伴奏者は男女ペアじゃないといけないと強く思っていたみたいで「あなたは女の子だから指揮者は出来ません」と言われてしまった事を覚えています。そもそも指揮者に立候補すらできなかったので、女性と男性の役割分担に違和感がありました。

中学の時には、委員会活動で似たような経験をしました。例えば男の子が委員長だったら、副委員長は女の子でないといけない。男女の均等を大切にしすぎるというか、男女は半々でなければいけないみたいな価値観を押し付けられる環境が多く、男女の隔たりをすごく感じてました。

ーー男女平等が良いということを意識しすぎるがゆえに、選択肢が限られてしまうケースがあったんですね。委員長が女性であるケースもあったんですか?

それもありました。私が中学生のときに委員長をしたときは「副委員長は男の子から選びましょう」となりました。性別で決めることではないと思っていたので、それにも違和感を覚えました。

別に女の子2人がなっても良いし、男の子2人がなっても良い。性別によって枠を決めることが子供の頃すごく嫌だったので、高校進学時は男だから女だからっていう枠組みが少ない学校を選びました。

結果として、例えば席替えをするときとかも「この列は男の子、この列は女の子」といった分け方も、出席簿も男女別じゃなかったりして、性別で制限されない環境というのがすごく嬉しかったです。

高校卒業後は理系の大学に進学したのですが、そこでも男女の役割を押し付けられるようなことは少なかったと思います。高校や大学で、性別は関係ないと思うようになったのですが、社会人になってやっぱり女性が男性と同じように働くのは難しいと感じる機会が増えました。

「男性だったらこんなこと考えなくて良かったのに」

ーーぜひ具体的なエピソードをお話しください。

私が就職した流通系の営業職は男社会でした。一般職と総合職の区分があり、私は総合職で入職したんですが、ことあるごとに総合職の男性社員から「結婚したら辞めるんだろう?」とか「結婚したら一般職に移るんだろう?」とか、辞めることであったりとか、出世のレールから外れることを前提に言葉を投げかけられることがありました。

私はすごく結婚願望が強くて、結婚して子供も産んで働きたいってすごく思っていたんですね。男性でも育休は取ることがあるかもしれないけど、女性は自分の身体に起こることだから例えば出産の日などは絶対に会社を休むしかない。

その分の穴埋めをどうしようかと考えてるときに、男性だったらこんなこと考えなくて良かったのにとネガティブな気持ちになることもありました。

ーー産休や育休を取ることは、その職場では出世から外れる事を意味していたのでしょうか。

産休育休を取っても仕事は続けられます。ただ、1年間がっつり育休を取るのであれば、男性社員より3年は出世が遅れるとか、子育てに力を入れたいのであれば一般職に移れば良いと、飲み会の席や食事の席で言われていました。

ーーそういうことを言われているときって、どんな感情を持つのでしょうか。

経営者として考えるのであれば、いつ切迫早産とかになって入院しちゃうかもしれないし、いつ仕事の穴を開けるかわからないのだから、男性と同じように扱うっていうのは難しいし、しょうがないと思っていました。

その上で困難となるものをいかに最短で乗り越えていくか、と考えていました。なので、ルールを変えようとかは思ってなかったです。でも、女性初の管理職みたいな、そういう初めての人にはなりたかった。

ただ、結局会社は辞めることになりました。その辞めた理由っていうのも、結婚をして夫の仕事を優先するためだったんです。彼が当時勤めていた会社は全国転勤の職種だったので、それについていくために仕事を辞めました。

全員がそうではないと思いますが、私の見ていた世界では、男の人は好きな仕事に全力で取り組んでいれば家庭も仕事も手に入れられるのに、女性は全力で好きな仕事に取り組んでいたら結婚を手に入れるのが難しい。不公平だと思いました。

「あなたは旦那さんにぶら下がって楽ができていいわね」

転勤先では「努力してこなかったのに、あなたは旦那さんにぶら下がって楽ができていいわね」と言われることがあって、最悪の気分でした。自分のキャリアぶち壊して結婚したのに、結婚当初1~2年くらいはいつも怒ってました(笑)

ーー腹が立つのもよくわかります。一体、どういう人が、どういうシチュエーションでそういう発言をしてくるんですか?

田舎なので、夫のことを知っている人もいるんですね。一部の人ですけど、当時働いていた同じ契約社員からも言われてました。新卒で総合職で働いていて、何でこんなこと言われなくちゃいけないのか分からない。それに、ちょっと公の場で言うと語弊があったり誤解を生むことだとは思うんですけど……。

ーーこの企画では、ぜひ素直な感情や考えを共有していただければと思います。

私は、中学校のときからずっと受験勉強も頑張ってきたし、就職活動だって頑張ってきたのに、何で受験勉強も頑張らないで高卒でプラプラしてる人たちに努力を否定されるんだろうと、すごくもやもやしたというのが正直な気持ちです。

総合職で働いてたときは結構ブラックな環境で、朝7時くらいからサービス早出して、コツコツ出勤してお客さんのピックアップしたりとか、朝早くに電話しないと出られないお客さんに電話をかけたりもしていました。

社内の資格試験とか業界の試験がいっぱいあって、月にテストが2~3個あるような状態でした。土日はこれで潰れますみたいなことも結構多かったので、土日も返上して勉強してたんですよ。本当に悔しかったです。

今は個人事業主として働いていて、当時とはガラッと環境が変わりました。

ーー働く環境を変えたのはどういう背景があったんでしょうか。

もう限界だったからですね。体調も辛くて、自分と向き合ってゆっくり考えたら、もうこの状況に耐えられないなと思ったんです。以前の私は、大袈裟なんですけど、夫と結婚生活を続けるか、死ぬかの2択しかないと思うくらい、夫を大事にしていたんです。

そのくらい大切にしたいと思っていた関係を、環境や状況が変わらないなら、もう終わらせてしまってもいいかもしれないというところまで追い詰められてしまって、環境を変化させることにしました。

「旦那にそんなことさせるなんておかしい」

ーーここまでの働き方の変遷を受けて、今改めて女性の働き方についてどんなことを考えていますか。

働きたいという女性に対しては、男性と同じとまでいかなくても、同じように働ける環境を作って欲しいと思います。でも、同時に、女性って全員管理職になりたいわけじゃないと思うんですね。なので、女性に限らず、個々の従業員の理想の働き方を叶えてあげられるような仕組みや環境があったら良いなって思ってます。

すごく出世してバリバリ働きたいですっていう女性に対して「家事も全部やってください」「子供を産んでください」「育児も全部してください」とならない環境があったら良いなと。もちろん、全部やりたい女性に関しても、同じように制限なく自由に自分のやりたいようにできれば良いと思っています。

ーーそういう主張に反対の方は、どう考えがあって反対するのだと思いますか?

実際に反対というか、批判的なことを言われます。いま、私自身割と自由な形で働いていて、夫と家事も分担しているんですね。例えば、食器を洗うのは夫の担当なんです。

すると、旦那の親や親戚に「妻は夫の仕事をサポートするものだ」とか「夫と夫の両親を大切にして自分のことは犠牲にするものだ」と言われます。それだけじゃなく、共働きの女性からは「旦那にそんなことさせるなんておかしい」と言われることもあります。

ーー共働きしている女性、つまり柳下さんと同じような立場の方にも批判されることがあるんですね。

そういう人たちは家事も全部やっていて、旦那さんはお手伝い程度って感じみたいです。でも、私も結婚した当初はフルタイムで外で働きながら家事も全部していたんですよ。

夫がゲームしてる横で私はずっと家事をして、自分のためのことは何もできない時期もありました。だからそういうことを言う人の気持ちも分かるんですけど、でも今では「私は嫌だからしないよ」みたいな感じですね(笑)

家事をしっかりと自分でしたい女性もいると思いますが、私はきっちり全部したくないので(笑) その時間で自分のこともしたいし、仕事もしたい。なので「これはやらなくちゃいけないことだから」って言われても、やらなくて良いようにどうすれば良いか考えた方が良いのではないですかと思います。

「高卒の女の子が良い」

ーーすると、少しずつ働きかけて今のような家事分担にしてきたということですよね。

ちょっとずつ、そして壮大に喧嘩をしながら(笑) 少しずつ変えてきました。今はもうお互い快適な感じです。家事もだし、お互い好きな仕事をしてのびのびと生きてます。

結婚当初はまるで違う状況でした。実家の近くに住み始めて旦那は随分変わりました。旦那の親は頻繁に家に来るし、土日は月に2~3回、金曜日から日曜まで泊まりに行かなければなりませんでした。

泊まりに行くと、旦那はゴロゴロしてるんですけど、私は旦那の実家の家事とか掃除とか、家政婦のような役割を求められていました。そのときに、義父母から「あなたは妻なんだから、こういうことをしないといけないのよ」と言われたり。

旦那も自分が楽な方に流されて、親が言っているんだから、それで良いんだという思想に一時期なって「俺は家事はやらない」「そういうものなんだ」と言っていました。

ーーそこからの意識並びに行動の変容、すごく大変だったんじゃないかなと思います。どう変わっていったのでしょうか。

私たちは「結婚は家と家とのつながりっていう考え方もあるけど、家庭は2人のもの。新しい家庭を2人で築いていきたいよね」と話して、少しずつ私たちの理想の生活や夫婦がどんなものかを作り上げて行きました。

また、あまり詳しくはお話しできないのですが、旦那の両親の行動がどんどん過激になり、旦那もだんだん「ちょっとおかしいかもしれない」と思うようになって距離を取ることができるようになりました。

ーー柳下さんにとっても、実は息子さんにとっても、関係を維持するのが難しい義両親だったのかもしれませんね。特に実家の近くに引っ越してしまうと、大変ですね。

付き合っていたときは、放任的な感じだったんですけどね。旦那は就職があまりうまくいかず悩んでいたのですが、転職が成功して良い会社に勤めてから義母は変わりました。

それまでは、ある種ダメ息子として負い目もあったのでしょうね。私はそんなこと気にしていませんでしたが……そこから急に息子が自慢に思えるようになって「地元出身の人じゃないと嫌だ」とか「高卒の女の子が良い」「可愛げがない」とか色々言われました。

そのとき「妻の家は夫の家よりも下でなければいけない」って考え方があるんだなって思いました。そういうところにも、性別が関わってくるんだと驚きました。

「本当はこの人もやりたいけどできないんだな」

ーー柳下さんにとって認めがたい価値観を持っている人もたくさんいます。そのような方々の価値観の本質はどのようなものだと考えていますか?

「女性はこうでなければいけない」とか「妻はこういうものだ」って言う人たちは、自分も嫌だと思いながら我慢して、それが普通だと思って道を外してはならないとすごく感じている気がします。自分が我慢してることを我慢していない人を見ると許せないんじゃないかな。

というのも、結構「ずるい」とか「おかしい」と言われることもあるんです。私は今子供がいないこともあって、旦那と過ごす時間を大切にしつつ、土日には予定を入れることも多いんです。自由にふらっとランチに友達と行くとか、平日の夜に職場の人と飲みに行くとか。

そういうのを「結婚しているのに、そんなことできるのおかしい」「できないの当たり前でしょ」みたいに言われたときに、本当はこの人もやりたいけどできないんだなって思いますね。

同年代の人はこういう感じで、もうちょっと上の方だと「私の頃はこうだったのに」とか言われます。「やらなきゃダメでしょ」みたいな。

「義理の父から子供を産めと言われていた」

ーー「私が耐えていることをやらないなんてずるい」という価値観を形成するような経験には、どのようなものがあるとお考えでしょうか。想像で構いませんのでお聞かせください、

その人たちも同じように「やらなきゃいけないんだから」と言われる環境があって、それを嫌々やってきたっていう経験があるんだと思います。

本人たちはそれを自覚していないこともあるでしょう。義理の父から「子供を産め」とよく言われていて、夫婦の家族計画も何も聞かずに具体的なことを聞いてきたり、私の実家に電話をかけて私の父にまで聞いてきたんですよ。本当に驚きました。

でも、もしかしたら、旦那のご両親は、旦那のお父さんのご両親とも同居をしていたし、そういうことをズケズケと聞かれる環境にいたから、こういうことも、当たり前のこととして受け入れてきたのかもしれません。

ーーそれでは、そういう価値観が変化するときにはどんな要因があるのでしょう。旦那さんの考え方も、結婚生活の中で変わっていったと思います。

旦那の同僚の結婚式で、新郎の両親がトラブルを起こしたことがあったんです。それを見て、他人もいる中で、夫婦の関係に両親が出てきていちゃもんをつけたり、夫婦に対して意見を言って強制させることが、一般的ではないし、どちらかというとあまり良くないことをようやく知ったんですよ。

それまでは、それが悪いことだと思ってなかったんです。私の実家とか私の職場の人に「本当にあの嫁はダメで……」と義父母が言うことは悪いことじゃないし、当然のことで、夫の両親が正しいと思っていたんですね。でも、客観的にそういうことをしている人を見て、少し目が覚めたみたいでした。

「結婚は幸せの条件だと思っているかもしれません」

ーー結婚生活についてどうお考えですか。

私は、夫と婚姻関係を続け、夫婦でいて、一緒の家で基本的に暮らすことを大切にしています。夫の仕事を支えたりサポートすることは、大切な私の役割というか、私がしたいことのうちの1つです。

私にとって幸せな生活の条件の1つに、結婚があります。なので前提として、何をするにも結婚している状態っていうのをキープしたいっていうのがあります。

ーーそうすると離婚して再婚もしたくないということでしょうか。

バツイチになりたくないですね。あと、学生時代から付き合って結婚してるのも、ステータスではないけど、それが気に入っているというか、その経緯も気に入ってるから手放したくないみたいな(笑)

ーー恋愛結婚し、その人と添い遂げるみたいなことがすごく良いことだと感じているのでしょうか。

そうですね。夫は大学の同級生だったんですけど、お見合いやマッチングアプリなどではなく、学校が一緒とかサークルが一緒だったとか、そういう出会いが良いなって思うんです。

私はネガティブな感じですけども、両親は離婚に対してそんなにネガティブじゃないです。母も「女の幸せは結婚が全てじゃないし、結婚しなくても幸せの人なんていっぱいいるし、離婚しても幸せな人なんていっぱいいるよね」と私が泥沼だったときもよく言っていました。

自分の価値観は就職してから強まったかもしれません。出世がちょっと遅れている人とかを「あの人はバツイチだからね」「あの人、子供がいないからさ」みたいな風に言う人がいて、結婚してないとダメだし、バツイチもダメだと思い込んでいるのかもしれない。

「プライベートも仕事も充実していますみたいな広告にすごく惹かれていた」

ーーとても興味があります。大変なことがいっぱいあってもう離婚してもおかしくないっていうときですら自分を支えたり、時に縛ったりすることもある何か強い信念がどこからやってくるのか?

プライベートも仕事も充実していますみたいな広告にすごく惹かれていたんですよね。なので、プライベートが充実しているっていうのは、友達もいて、学生時代とかだったら彼氏がいて、今だったら、結婚して家庭があって趣味も充実していますみたいな。

母は専業主婦ですが、何かやりたいことができないとか否定的な言葉は言われたことがないし、母は働いているより専業主婦してるのが楽しいから毎日幸せだとよく言っていました。でも、幼稚園の頃には「母みたいにはなりたくない」って思っていたんです。共働きしていた祖母に比べて、母は自由が少ないって思ってました。

母は少しでも欲しいものがあると絶対父に確認をして買うので、窮屈に見えました。別に父は母が欲しいものがあったら「良いよ。買ったら?」と言うし、否定されたり「そんなのいらないよ」と言ってるのは見たことがないんですけが、自分のお小遣いがないから自由が少ないと私には映っていました。

あとは、父に合わせて行動するんですよ。例えば、父が何か忘れ物したら届けにいったり。今は臨機応変に対応できてかっこいいなって思うんですけど、子供の頃の私は無理強いばっかりされてさせられてるって思ってました。

おばあちゃんみたいになりたいから、私は大学に行って就職して働くんだ。そして、お父さんみたいにバリバリ働くんだって思ってました。今は母みたいになりたくないんじゃなくて、母みたいにはなれないなと、母を尊敬しています。

ーーお母様の見え方が変わったきっかけは何だったんでしょうか。昔はこうなりたくないだったのが、今はこうはなれないなって思う何かがありましたか。

今の生活をするようになってから、特に思うようになりました。旦那はある程度、自分のことは自分でやってくれるし、私のことも含めて家事をやってくれる生活がとても楽なんです。母みたいに365日24時間父のことを考えて、父のことを最優先に生活するのは無理だし、すごいなと思うようになりましたね。しかも母からネガティブな言葉が出てきたことがないので、そこにまたすごいなって思うようになりました。

多分、周りの人から「私は強制されてやってる」みたいな「嫌々やっている」みたいなことを聞くようになって、母はべつに嫌々やってるとか言わないし、人生楽しいみたいな感じなので(笑)  そこでまた、母はこんなに色々とやっているのに、自分がすごいことをしていることもあまり認知しないまま幸せに生きていることに脱帽というか、尊敬しているんです。

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