グローバルスタンダードへの疑問 国連の訴える「人権」は普遍的か?

 グローバルスタンダードとされているものは多く存在している。人権もその1つだ。国連が、日本に対してグローバルスタンダードでないと主張する機会も少なくない。しかし、私は、事情を知らないただの押し付けではないかと考える(written by マーシャ)。

女性が天皇になれないのは差別なのか?

日本の天皇は「万世一系」

 国連の女子差別撤廃委員会は、皇位継承権が皇族の男系男子に限られていることについて女性差別であるとみなし、皇室典範の改正を要求した(産経新聞,2016)が、これは日本の事情を知らない批判ではないか。

 日本の天皇の位は、宮内庁の「天皇系図」を見ても分かるように、初代神武天皇から今上天皇に至るまで全て男系で継承されてきた。これを「万世一系」と言う。皇位が男系で継承されるとは、天皇の父をたどると天皇、最終的には神武天皇にいきつくことである。初期の天皇が存在したかどうかに関しては諸説あるが、万世一系であったということはおおむね認められている。

 よく誤解されるが、女性天皇と「女系天皇」は異なる。女性天皇は文字通り女性の天皇だが、「女系天皇」とは皇位が女系により継承された天皇のことを言う。例えば、女性天皇などの皇族女性と一般男性との間に生まれた子が皇位を継承すると、「女系天皇」になる。かつては女性天皇も存在したが、「女系天皇」は存在したことがない。

 歴代の女性天皇は全て男系の皇族女性で、基本的には次の男性天皇が即位するまでの中継ぎの天皇だった。更に、女性天皇は夫が天皇や皇太子だった女性か、一生独身を貫いた女性だった。例えば、前者には推古、皇極(斉明)、持統、元明天皇、後者には元正、孝謙(称徳)、明正、後桜町天皇がいる。元明天皇から元正天皇への継承を見て「女系継承」と見なす人もいるが、元正天皇の父は天武天皇の皇子の草壁皇子であり、皇族男性なので男系継承である。また、宮内庁の公式の歴代天皇の一人として扱われていない(宮内庁)ものの、草壁皇子には「岡宮天皇」という追号が贈られている(松尾,2006)。文武天皇が若くして崩御した際に、最終的にはその皇子(聖武天皇)に皇位を継承するため、成長まで皇位につく中継ぎの天皇として、持統天皇により擁立され、独身のまま待機させられたという(松尾,2006)。

 日本の歴史を見ると、天皇位とは男系で継承される物であるということが分かる。女系継承を認めれば天皇ではなくなると言っても過言でないだろう。

皇位継承の危機をどう乗り越えたのか?

 皇位継承の危機に際しては、男系継承だけでは皇室を存続できない、天皇が複数人の妻を持たない現代では難しい、という意見がある(所,2006など)が、これまでも皇位継承の危機に瀕した際は、天皇の男系子孫が即位した。男系継承は継続されたが、直系で継承しなければいけないという決まりは存在しない上に、西洋の皇帝や王のように皇位継承資格者は正妻の子という決まりが日本にはなかったため、柔軟に解決されてきた。

 武烈天皇は、兄弟や直系子孫に後継者がいないまま崩御したが、応神天皇の男系子孫の男性(男系男子)が即位した。継体天皇である。

 一度天皇の臣下となった皇族出身の男性を皇籍復帰させて即位したこともある。平安時代の光孝天皇の崩御後、その子は全て臣籍降下により皇族でなくなっていた。そのため、光孝天皇の息子で臣籍に下っていた源定省(みなもとのさだみ)が皇籍復帰し、即位した。宇多天皇である。天皇が世継ぎを残さないまま崩御した後、宮家から天皇を立てた例も存在する。上のような例を踏まえて、皇位継承の危機に備え、旧宮家の皇族復帰を訴える意見も存在する(竹田・谷田川,2020)(谷田川,2020)。

 日本の天皇は西欧の皇帝や王のように政治がメインの仕事ではない。祈ることが仕事である。天皇位が男系継承である理由について、明治天皇の玄孫で旧皇族出身の竹田恒泰氏は「古事記」を例に挙げ、祭祀を男系で継承するためであるとしている。初代天皇の神武天皇が大物主神の娘を娶り、大物主神を代々祀っていたが、第十代天皇崇神天皇の御代に疫病が流行った。神武天皇は、夢のお告げ通り大物主神をその男系子孫に祀らせたという。(竹田,2018)。

女系継承では「乗っ取」られる

 男系継承を続けてきたのは、皇室を別の一族に「乗っ取」られないように、つまり、家や王朝の名前や領地を奪われないようにするための仕組みだったのかもしれない。

 海外の例を見ると、通常は男系継承を行う皇室・王室では基本的に、女帝や女王が別の一族の男性と結婚し、二人の子が男性側の家だけでなく女性側の家を継ぐ(女系継承)ことで王朝や家の名が男性側の家の名前に変わることが多い。例えば、宇山氏によると、ハプスブルク家は政略結婚により支配領域を拡大したという。ハプスブルク家の皇子フィリップは、スペイン王女ファナと結婚し、男子後継者が存在しなかったスペイン王室は、二人の子であるカール5世により継承され、スペイン王国はハプスブルク家に乗っ取られたという。このような乗っ取りを防ぐため、ハプスブルク家は同族同士の近親婚を重ねた(宇山,2019)。

 それでもなお欧州の皇室や王室が時に女系継承を認めてきたのは、日本とは異なり、正妻の子にしか継承権がなく、側室や妾の子には継承権が存在しなかったからだ。

 実は、女系継承を認めなくても、フランスのように側室なしで男系継承を800年続けてきた王家もある。フランス王家は、「サリカ法」という規定の元、男系男子による継承を続けてきた(宇山,2019)。フランスでは、カペー、ヴァロワ、ブルボンと王朝名が変わっているが、実は同じ一族の分家なので、血統的には男系継承を続けていた。日本で言うと、宮家のような立ち位置にある(谷田川,2020)。宇山氏によると、ハプスブルク家もサリカ法により乗っ取りを防ごうとしたという。「女帝」として知られるマリア・テレジアは法的には女帝ではなく、皇帝は彼女の夫で、彼女は「皇后にして共同統治者」である。ハプスブルク朝は、女帝マリア・テレジアがフランス貴族のロレーヌ公(ドイツ語ではロートリンゲン公)の男性との結婚以降、ハプスブルク=ロートリンゲン朝と呼ばれるようになった(宇山,2019)。

 女性が結婚を機に改姓をしない文化圏にも、女帝の登場による王朝交代のケースがある。

 中国唯一の女帝則天武后が即位した際は、国号が「唐」から「周」に変わっている(山川出版社,2012)。中国では夫婦別姓で、則天武后の姓は「武」、唐王朝の皇族である夫や子の「李」と別姓である。中国でも支配者の姓が変わると王朝名や国号が変わる(易姓革命)。支配者の姓が「李」から「武」に変更したので、国号が「唐」から「周」に変わったのである。

 ベトナムの李朝は、女帝により終焉を迎えた。女帝李氏が夫の陳氏に譲位する形で陳朝に皇室を乗っ取られたのだ。

 日本では、天皇の男系の子孫である皇族しか皇位継承権を持っていなかったため、国の頂点を巡って諸外国のような熾烈な権力争いが起きたケースは少なかった。日本史上皇位を簒奪した者はいない。有力な男性たちは、自分自身が天皇になれない代わりに、こぞって娘を天皇に嫁がせ、天皇の外戚として振る舞おうとした。また、皇族同士の争いはあれど、天皇が家臣に暗殺されたケースは崇峻天皇一例のみで、黒幕の蘇我氏が後釜に座ることはなかった。承久の乱により朝廷軍が幕府側に敗北した後も、幕府が天皇位そのものを廃止することはなかった。

女性天皇が少ない宗教的な理由

 日本の皇室は男系女子への継承を認めてきたが、それでも全体としては女性天皇の割合は少ない。前述のように、奈良時代以降は女性天皇が生涯未婚であり、直系の子孫に皇位を継承することが難しいことも原因の一つとして考えられる。

 女性天皇が誕生しにくい、宗教的な女性特有の事情もあったという。竹田氏によると、日本の皇室の宮中では病気や死、出産は「穢れ」とされているという(竹田,2011)。女性の月経も同じく「穢れ」とされている。実際に、宮中で女官として働いていた髙谷氏は、宮中では、着物や化粧品、櫛類、箸、箸箱に至るまで、生理中と通常時に使う物が違うと証言している(髙谷,2019)。竹田氏によると、宮中では天皇も含め、穢れのある人は携わる事ができない行事が多く、天皇が行うはずの行事を本人が行えない場合、代理人を立てて祭祀を行うことが続けば、天皇の尊厳にも影響するという。天皇自身が行わなくてはならない元日の四方拝や新嘗祭は、戦国時代から江戸時代にかけて中断する事なく続けられてきたが、前者は明正天皇と後桜町天皇の御代にはほとんど行われなかった。更に、後桜町天皇は、「月のさわり」を考慮して時期をずらした上で大嘗祭に臨んだが、翌年以降、通常は毎年行われる新嘗祭に一度も出なかった。また、天皇自身が穢れにより謹慎する場合は「廃朝」と言い、神事だけでなくあらゆる執務にとりかかることができなかった。女性が天皇になると月経があるため、毎月7日間は天皇が不在になる(竹田,2011)。

 出産も「穢れ」とされてきたため、宮中の外で行うこととされてきた。仮に女性天皇が在位中に出産となれば、長期間宮中から出る必要がある。そうなれば、天皇が本来の仕事である祭祀を行うことができなくなってしまう(竹田,2011)。

 前述のように、日本の天皇の役割は祈ることである。祈ることが役割である天皇がその役割を全うできなくなれば、天皇の存在意義にも関わってしまう。女性天皇が少ない背景にはこうした要因も考えられるだろう。

欧米にも存在する宗教的な男女の役割の違い

 国連は、日本の皇室では男系男子にしか皇位継承権がないことを男女差別的であると批判したが、人権意識が高いとされているヨーロッパにも男女で役割に違いのある仕組みは残っている。確かに現存するヨーロッパの王家は女性の継承権を認めているが、ローマ教皇や正教会のトップになれるのは男性のみである。ロシアやウクライナなど、正教圏の一部地域には、教会などの宗教施設内で女性がスカーフをする習慣もある(2019, エゴロフ)。正教会の聖地アトス山は、2002年に欧州議会が女性差別と認定するまでは女子禁制だった(吉田,2015)。

 リベラルな認識を持っているとされる(AFP,2016)ローマ教皇フランシスコ1世も、女性聖職者誕生の可能性を認めないヨハネパウロ2世の見解を踏襲し、バチカンのローマ教皇庁も、この部分はカトリックの教義の中で絶対不可侵としている(ロイター編集,2016)。結局2021年には女性助祭を認めたが、バチカンは、将来女性の司祭就任を認めることには直接つながらないと認識している(ロイター編集,2021)。

 日本の天皇は、政治権力というよりも自ら祭祀を行う宗教的な象徴という側面が強く、政治が主な役割であったヨーロッパの王や皇帝と同様に位置付けることは難しい。宗教的な指導者という位置づけとすると、ローマ教皇とも立場が近いとみなすことができる。筆者の管見によれば、国連がバチカンに勧告を出したのは性的虐待問題についてで、(ニュースの教科書編集部,2014)女性の聖職者については指摘されていない。国連が、西洋キリスト教世界、とりわけカトリックに対しても勧告しないのであれば日本の皇室も男女で役割の違いを認めてもよいのではないだろうか。実際に、日本政府は女子差別撤廃委員会の批判をかわし、皇室典範改正勧告を削除させた。時には日本の立場を主張することも必要ではないか?

 「女性差別」はダメなのに、血統、長子優遇なのは認めるのか?

 また、皇室や王室という特定の人しか特別な地位を持てない仕組みを認めておきながら、男性のみに継承権を認めることを「女性差別的」と非難するのも不自然ではないだろうか?

 皇室から女性差別を無くしたところで、おそらく天皇の嫡子の長子に優先的に継承権を与える決まりは残るだろう。年齢や血統は考慮され続ける。そもそも皇室という特別な立場にある人のみ皇位継承権を持ちうるので、皇室が「女性差別的」と結論づけるのであれば、皇室自体が「差別的」であると認識しないと筋が通らない。「男女平等の時代に合わせて女性天皇や女系天皇を認めるべき」と主張する人よりも、「そもそも皇室自体が差別的だから廃止するべき」と主張する人の方が主張に一貫性がある。

 また、日本国憲法が「男女平等」を掲げていても、天皇は日本国の象徴であり、基本的人権の対象外だ。それでも、教育を受ける権利など、皇室の日常生活においては男女平等である(谷田川,2020)。

「夫婦同姓は女性差別」なのか?

日本の憲法上は合憲

 日本が女子差別撤廃委員会から批判を受けたのは皇位継承権に関わる制度だけではない。日本の夫婦同姓制度に対する批判も存在する。同じく、国連女子差別撤廃委員会は、女性に選択肢が存在しないと日本の夫婦同姓制度を批判し、夫の姓を名乗る家庭がほとんどであることについてUNウィメンの当時の事務局長ムランボヌクカ氏は「強いることは別問題だ。基本的に女性には選択肢がなければならないと考えている」(日経新聞,2016)と批判している。 

 国連が何を批判したいのか、主張がまとまっていない印象を受ける。確かに、日本では夫の姓を名乗る女性が9割強だが(日経新聞,2016)、現行法においても夫婦どちらの姓も名乗ることができる。そうした意味では、現時点でも選択肢は存在している。

 平成29年度の内閣府の調査によると、「夫婦が婚姻前の名字(姓)を名乗ることを希望している場合には、夫婦がそれぞれ婚姻前の名字(姓)を名乗ることができるように法律を改めてもかまわない」と答えた者のうち、希望すれば、夫婦がそれぞれの婚姻前の名字(姓)を名乗れるように法律が変わった場合、夫婦でそれぞれの婚姻前の名字(姓)を名乗ることを希望するか聞いたところ、「希望する」と答えた者の割合が19.8%、「希望しない」と答えた者の割合が47.4%、「どちらともいえない」と答えた者の割合が32.1%となっているという(内閣府,平成29年)。

 夫婦別姓制度を求める人の中で、別姓を名乗りたいと思っている人の割合は2割だが、それでも平成27年12月16日の最高裁判決で、夫婦同姓制度は人格権の侵害にあたらず合憲であるという判断が下っている。

東アジアでは別姓で家父長制

  柏市男女共同参画センター(2016)などによれば、日本においては、家父長制が、通常長男が務める戸主が絶対的な権力を持つ「家」制度と密接な関係にあるとされてきたという。夫婦同姓制度も家制度や家父長制との関連性が指摘されている(nana,2018)(田上,2016)(など)。しかし、実際のところ、別姓か同姓かは家父長制かどうかとあまり関係がない。 

 子が父の姓や名前などを継承することは、父系社会の特徴の一つである。多少定義に差があるが、父系とは、少なくとも家系が父方の系統で相続されることを言う。同様に多少定義には幅があるが、家父長制とは父系社会において、特に家父長が強い権限を持っていることをさし、時に「父権制」と表現されることもある。家父長制は、必ずしも父系社会と同義ではない。血統的には「父系」であっても、家父長が強い権限を有するかは別の問題である。また、父系社会の特徴と、家系が母方の系統で相続される母系社会の特徴をどちらも備える双系社会も存在する。ましてや、夫婦の姓が同じか別かは更に父系社会かどうか、家父長制かどうかと関係がない。

 日本における姓の歴史を見る前に、日本が「姓」や「氏」といった概念を取り入れた中国を始めとする東アジアの事情について触れておく。

 東アジアでは、古代中国の「宗族制度」に基づいて、夫婦別姓を前提にした家父長制社会が広く維持されてきた。現在の中韓台で夫婦別姓制度が主流なのは、伝統的に宗族制度に基づいて夫婦別姓だったからだ。「宗族制度」では、祖先の霊は男系男子で祀ることとされている(源法律研修所,2020)(大藤, 2012)。子は父の姓を名乗り、生まれ持った姓は一生変わることがない。結婚や養子で改姓することはまれである。結婚した女性はあくまでも婚家に属さず、実家に属したまま、言い方を変えれば、よそ者とされた。宗族制度を受け入れた社会では基本的に「同姓不婚」「異姓不養」の原則が貫かれた。前者は、姓を同じくする者は近親者であり、結婚しないという考えである。後者は、姓が同じ者しか養子にとらないという考えだ。

日本の夫婦別姓・同苗字の習慣

 日本では、明治時代に夫婦同姓(正式には夫婦同氏)制度が誕生するまでは、苗字を公称することができた階級中心に中国の慣習を取り入れて夫婦別姓だったと言われている。しかし、後述のように中世以降は夫婦別姓と並行して同苗字の習慣も見られたという指摘もある。「姓」「氏」は中国由来の概念だが、日本においてはニュアンスが異なる。また、日本では、「姓」「氏」「苗字」は元来別の概念であり、時代によって意味合いが異なる。

 話が長くなるので必要な部分以外は割愛するが、中世以降の日本では、「姓(本姓)」は天皇から与えられるものであると同時に父系の血統を表すもので、基本的には一生変わることがなかった。主な姓には、源、平、藤原、橘がある(大藤, 2012)(源法律研修所, 2020)。

 苗字(名字)は日本由来の概念である。同じ姓を名乗る者が増えたことから、家を区別するために誕生した(大藤, 2012)(田上,2016)(源法律研修所,2020)。苗字は比較的自由に名乗ることができ、親兄弟で異なることもあった。例えば北条氏の姓は平で、北条は苗字である。夫婦で同じ苗字を名乗ることもあった。戦国時代の摂関家の正妻は「婚家の苗字+女中」「婚家の苗字+北政所」、一般公家正妻は「婚家の苗字+女中」「婚家の苗字+向名」を名乗ったという(大藤,2012)。近世には夫婦別苗字の事例も見られたが、夫婦の苗字に関する規定はなく、妻が実家か婚家、どちらの苗字を名乗るかは、慣行や帰属意識にゆだねられていたという(大藤,2012)。

 また、日本では中国の宗族制度のような「異姓不養」や「同姓不婚」が根付かず、姓が同じ者による結婚や、異姓の養子をとることもあった。

馴染まなかった明治の夫婦別姓制度

 明治になると、姓・氏・苗字が同じものとしてみなされるようになった。夫婦の氏については、当初別氏を名乗るという政策がとられた。しかし、特に農民など庶民の間では、嫁いできた女性が同じ家の一員という考えも根強く、明治9年の夫婦別姓制度ができた後も、諸府県から異議申し立てが出された(大藤,2012)。民間では妻が生家の氏を称するのはわずかで、婚家の氏を称するのが一般の慣行だったからだという(大藤,2012)。大藤氏は、家観念が強まっていたため、庶民も苗字の公称を許されると(庶民も公称が許されないだけで、苗字を持っていた人も存在したとされる)妻が婚家の苗字を名乗ったと考えている(大藤,2012)。法務省も、当時は夫婦で同じ氏を名乗ることが習慣化していたと認識している。

 実際に、当時の人々の証言から、夫婦で同じ氏を名乗るという習慣が長期間存在していたことを知ることができる。

 井上操は、「法典編纂ノ可否」(『法政誌叢』103号、明治23年)で、「婦 其(その)夫ノ氏を称スルトイフガ如キハ古昔ノ例トハ異ナリ。古昔ハ婦ハ其(その)実家ノ氏ヲ称シタリ。然レドモ幕府以来実際ハ夫ノ氏ヲ称シ、現ニ今モ夫ノ氏ヲ称シ戸籍ノ如キモ別ニ実家ノ氏ヲ示サズ。」とある(星野通著『明治民法編纂史研究』ダイヤモンド社所収,p.402(源法律研修所,2020)と証言している。 

 また、源法律研修所によると、

 民法起草者の一人である梅謙次郎は、『民法要義』巻之4(親族編)43頁で、

「行政上の慣習によれば、妻は実家の氏を称すべきものとせりといえども、これみだりに支那の慣習を襲へるものにして我邦の家制の主義に適せず。また、実際の慣習にも戻るところなり。」「けだし、妻がその実家の氏を称するは、あたかもなお実家に属するの観をなし夫婦家を同じうするの主義に適せず。」「実際において何某妻誰と称し、大抵その実家の氏を称することなし。故に、従来の行政上においては、妻はその実家の氏を称すべきものとせるに拘わらず、一般に夫の氏を称するのみならず、公文においても夫の氏を称し、ために行政官吏がその訂正を命ずること多し。これ妻が実家の氏を称するの我邦の慣習に適せざる顕著なる証拠なり。」「宮中においては、従来、妻は夫の氏を称すべきものとせり。」

(源法律研修所, 2020)と述べているという。

 この時代において、姓・氏・苗字は同じものであることに注意する必要があるが、当時の人達の証言により、前述のように別姓が中国の習慣で夫婦で同じ苗字を名乗るということが日本の習慣だったということ、特に宮中では女性が夫の苗字を名乗ったり、夫婦別姓同苗字の習慣が存在していたりしたことと辻褄が合う。

 夫婦同姓制度が家父長制的な「家」制度と関係があるかどうかに論点を戻そう。

日本における同氏制度が「家」制度の成立した明治31年に開始したことから、家父長制と関連付ける説があるが、家制度が成立する前から存在していた夫婦同苗字の習慣と明治31年に成立した家制度を関連付けて、夫婦同氏制が家父長制とみなすのは難しいのではないか。そもそも、法律的な「家」制度の成立だけをもって「家父長制」と定義するのはどうなのだろうか。夫婦同氏制度が導入される前の夫婦別氏(姓/苗字)も家父長制的で、妻は婚家に入らないという考えを元に運用されていた。

「名前=氏名」とは限らない

 女性の改姓の割合が多いことが問題であれば、ムランボヌクカ氏も主張するように、世界中で多くの女性が夫の姓を選んでいる(日経新聞,2016)ことも問題にするべきである。

 そもそも、名前の仕組みは国によってさまざまである。日本のように名前が「氏名」を指す国ばかりとは限らない。

  旧ソ連の国々では、氏名の他に父称を名乗ることが多い。父称とは、インド・ヨーロッパ語族にみられるパトロニミックスの一種で、「○○の息子/娘」という意味を持つ。相手に敬意を表す時は、名前+父称で呼ぶことになっている。例えば、プーチン大統領の本名は「ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・プーチン」である。父称にあたるのは「ウラジーミロヴィチ」である。プーチン大統領を公的な場面で呼ぶ時は、「ウラジーミル・ウラジ―ミロヴィチ」になる。また、旧ソ連圏やスラブ語圏には、男女で姓の語尾の違いを認める国も存在する。例えば、ソ連最後の書記長ゴルバチョフ(Gorbachev)氏の妻は「ゴルバチョワ(Gorbacheva)」で、メドベージェフ元大統領と女子フィギュアスケート選手のメドべージェワ選手は同じ姓である。

 父称が存在するのは旧ソ連圏だけではない。英語圏のマクドナルド、ジョンソンといった姓は、父称由来の姓である。Mac-も-sonも、「○○の息子」を意味する。姓がない国も存在する。ミャンマーも姓のない国の一つだ(国際機関 日本アセアンセンター,2009)。アウンサンスーチーは、これだけで一つの名前である。父の名を姓代わりに名乗る文化圏も存在する。イスラム圏には、父や祖父の名を個人名に冠する習慣も見られる(大藤,2012)。

 世界には様々な名前の仕組みが存在しているにも関わらず、「名前は氏名(西洋では時にミドルネームも)から構成される」「夫婦同姓なら姓の語尾が同じ」などという特定の地域の価値観だけで世界の名前の仕組みの良し悪しを論ずるのは問題だ。

 実際に、夫婦別姓に関わる平成26年3月28日の東京高裁の判決でも、「婚姻を始めとする身分関係の変動に伴う氏の変更を含む氏の在り方が,決して世界的に普遍的なものではなく,それぞれの国の多年にわたる歴史,伝統及び文化,国民の意識や価値観等を基礎とする法制度(慣習法を含む。)によって多様であること(甲8の18頁から24頁まで。なお,そもそも氏を持たない国も存在する。)」とある。 夫婦別姓を認めていても、ほとんどの女性が夫の姓を名乗る国も存在する。元々は家父長制的な価値観を元に、現在に至るまで別姓制度を続けてきた国も存在する。夫婦同姓でも男女で語尾が違う姓を持つ文化圏も存在する。そもそも姓が存在しない国も存在する。氏名の他に父称を名乗ったり、あるいは姓の代わりに父の名を名乗る人々も存在する。名前について、はっきりとした仕組みがない国も存在する。夫婦が同姓、別姓であることの意味は、国によって異なる。同姓制度が女性差別的という考えは、西洋的、近代日本的な歴史観によるものではないのか。

 また、夫婦の姓に関して「差別」をなくすべきという話になれば、子の姓も「平等」に名付けるべきという議論になりかねない。しかし、子に考慮すれば更に複雑な事態になるだろう。子に同数ずつ夫婦の姓を名付けないと「差別」と思われるかもしれない。子の数が奇数の場合は、夫婦の姓を子に同数ずつ名付けることはできない。複合姓を認めても、どちらの姓を先に名乗るかで揉めるかもしれない。そもそも、親から姓を継承したり、親が名前を決めることが「差別的」であると問題視されるようになるかもしれない。自由に名前を名乗る権利を認めるならば、名前や姓を名乗らない自由も提唱されるかもしれない。

 判例にもあるように、名前の在り方は、伝統や文化と密接な関係がある。名前の仕組みが近代的な「人権」「平等」「自由」といった考えと相いれない伝統や文化によって編み出されたものである以上は、完全な「平等」さを追求することは難しいだろう。名前の仕組みについて「平等」さを突き詰めると、最終的には姓はおろか、名前を廃止するべきという結論に至ってしまうのではないか。客観的に数字のみで個人を管理したほうがよい、という考えに至るかもしれない。

日本人自身もするべきこと

 残念ながら、一部ではあるが、日本人の中にも「日本は遅れている」「国際社会から批判されている」「○○できないのは日本だけ」と西欧、北米といった先進国と目される国々や国連の威を借りて、盲目的に彼らの価値観に迎合しようとする人達がいる。日本国内でも、日本の伝統や文化について周知が十分でない上に、日本人の性格も相まって「国際社会」からの一方的な主張を真間に受けてしまう人も少なくないことも関係あるだろう。例えば、NHK「皇室に関する意識調査」によると、「女系」天皇の意味を知らない人が過半数であるにも関わらず、「女系」天皇を認めてもよいと思っている人が71パーセントにものぼる(NHK,2019)。結果を鑑みるに、日本人自身が日本の歴史的な事象について十分理解した上で「女系天皇」の是非を判断しているとは言えない。日本特有の事情について説明するロビー活動も十分ではない。     

まとめ

 皇室や王室の存在意義や皇位継承の在り方、名前の仕組みやその成立背景は様々なのに、よく知りもせず特定の価値観から批判するのは愚かなことではないだろうか。差別や偏見を無くすはずの国際機関が東アジアや日本の事情について知ろうとせず、一方的に北米的、西欧的な歴史観を元に偏見を持って批判しているように感じることは少なくない。

 皇室の祭祀やその他諸々の事情については、一般国民に対して開かれていないことも多い。女性天皇を巡る話題においては月経など性にまつわる話も多く、公に議論しにくい。竹田氏や髙谷氏のように少しでも皇室と関わりのある人物が公開しなければ、皇室の繊細な事情が外部に知れ渡ることはなかっただろう。現代社会においては透明性が求められがちであり、「開かれた皇室」という言葉が存在するように、皇室に対しても全てを明るみにするよう求める風潮がある。しかし、公衆の場で話しにくいナイーブなことがあるということに配慮せず、事情を知らない人々の外部の圧力により無理矢理皇室の在り方を変えることは正しいことだろうか?

 夫婦同姓を家父長制や男女差別と関連づけるのは、欧米的な価値観によるものだ。東アジアでは、どちらかといえば別姓が家父長制と密接な関係にあった。家父長制自体が問題ならば、元々家父長制を元に別姓制度を維持してきた国、欧州にも存在する父の名前から作った父称や、父称由来の姓が存在する国、そして、夫婦別姓が選択できる国でも女性のほとんどが夫姓を選択している風潮に批判が向いてもおかしくない。国連はこれらの件についても問題視しているのだろうか?私が調べた限りでは、バチカンに対する勧告は性的虐待事件のみだった。

 国連も、主張すれば勧告を撤回することもある。「国際社会」という権威に屈せず、日本がこれまでどのような歴史を歩んできたのかを学んだ上で、今後どうするべきなのか、丁寧に議論し、時には事情を知らずに批判してきた相手に対して毅然と対応していくべきではないだろうか。

参考文献

宇山卓栄「『王室』で読み解く世界史」(日本実業出版社,2019)
大藤修「日本人の姓・苗字・名前」(2012,吉川弘文館)
オレグ・エゴロフ「正教会の女性はなぜ髪を隠すのか」(2019, RussiaBeyond)https://jp.rbth.com/lifestyle/82986-seikyokai-no-josei-ha-naze-kami-wo-kakusu-no-ka
シャルル・メイエール 訳:辻由美「中国女性の歴史」(白水社、1995年)p.28
全国歴史教育研究協議会編「世界史B用語集 改訂版」(山川出版社,2012)pp.44 45 62 63 64
『「男女が同じ選択肢を」 夫婦同姓、国連は改善勧告最高裁が「合憲」判決』(2016,日経新聞)https://style.nikkei.com/article/DGXMZO98795970U6A320C1TY5000/ (2021年2月12日確認)
髙谷朝子「皇室の祭祀と生きて 内掌典57年の日々」(河出文庫,2019)p.78-79
田上嘉一「未だに夫婦別姓が進歩的だと勘違いしている人たちへ」(2016,yahoo!JAPANニュース)https://news.yahoo.co.jp/byline/tagamiyoshikazu/20160913-00062128/ (2021年2月12日確認)
竹田恒泰「語られなかった 皇族たちの真実」 (小学館文庫,2011)
竹田恒泰「古事記完全講義」(学研,2018)pp.294-295
竹田恒泰「天皇の国史」(PHP,2020)
竹田恒泰・谷田川惣「対談」【竹田恒泰・谷田川惣『入門「女性天皇」と「女系天皇」はどう違うのか 今さら人に聞けない天皇・皇室の基礎知識』】(PHP,2020)
所巧「歴代の后妃と女帝の役割」『「歴代天皇・皇后総覧」』(新人物往来社,2006)pp.284-292
nana『男尊女卑につける薬「選択的夫婦別姓」』(note,2018)https://note.com/nana77rey1/n/n2d436249f47b(2021年2月12日確認)
ニュースの教科書編集部『国連、カトリック教会の「性的虐待問題」を非難 フランシスコ法王で教会は生まれ変われるか』(Huffpost,2014)https://www.huffingtonpost.jp/2014/02/10/un-catholic-church_n_4757789.html (2021年2月21日確認)
沼田恭子 他「大学のロシア語Ⅰ 基礎力養成テスト」(東京外国語大学出版会、2014)p.37
松尾光「持統天皇」『編「歴代天皇・皇后総覧」』(新人物往来社,2006)pp.118-121
松尾光「元明天皇」『編「歴代天皇・皇后総覧」』(新人物往来社,2006)p.123
宮崎市定「中国古代史論」(平凡社選書、1988年)
森安達也「人名」(川端香男里・他編「ロシア・ソ連を知る事典」平凡社、1989年、 p.286〜287)
谷田川惣「論考」【竹田恒泰・谷田川惣『入門「女性天皇」と「女系天皇」はどう違うのか 今さら人に聞けない天皇・皇室の基礎知識』】(PHP,2020)
吉田一郎「国マニア 世界の珍国、奇妙な地域へ!」(交通通信社, 2015)pp.58~61
「皇室に関する意識調査」(NHK,2019) https://www3.nhk.or.jp/news/special/japans-emperor6/opinion_poll/ (2021年2月12日確認)
「家父長制」(柏市男女共同参画センター,2016)http://www.city.kashiwa.lg.jp/sankakueye/3405/3408/4596/4599/p027033.html (2021年2月21日確認)
宮内庁「天皇系図」https://www.kunaicho.go.jp/about/kosei/keizu.html (2021年2月12日確認)
『「キリスト教徒は同性愛者に謝罪するべき」、ローマ法王』(AFP,2016)https://www.afpbb.com/articles/-/3091898 (2021年2月12日確認)
「東京高判平成26年3月28日京都産業大学HP(平成25年(ネ)第3821号)」https://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~suga/hanrei/151-2.html (2021年2月12日確認)
「最決平成27年12月16日京都産業大学HP(平成26年(オ)第1023号)」 https://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~suga/hanrei/151-3.html (2021年2月12日確認)
「ミャンマー人の名前」 (国際機関 日本アセアンセンター,2009) https://www.asean.or.jp/ja/30df30e330f330de30fc4eba306e540d524d/ (2021年2月12日確認)
『男系継承「憲法に抵触せず」 参院内閣委で宮内庁次長が見解』(産経新聞, 2020)https://www.sankei.com/life/news/201117/lif2011170021-n1.html (2021年2月12日確認)
「男系継承を「女性差別」と批判し、最終見解案に皇室典範改正を勧告 日本の抗議で削除したが…」(産経新聞, 2016) https://www.sankei.com/politics/news/160309/plt1603090006-n1.html (2021年2月21日確認)
『「選択的夫婦別姓」検討も賛否分かれる 自民党』(テレ朝,2020)https://news.tv-asahi.co.jp/news_politics/articles/000199977.html (2021年2月12日確認)
「世論調査 2.選択的夫婦別氏制度の導入に対する考え方」(内閣府,平成29年) https://survey.gov-online.go.jp/h29/h29-kazoku/2-2.html (2021年2月12日確認)
法務省「我が国における氏の制度の変遷」http://www.moj.go.jp/MINJI/minji36-02.html (2021年2月12日確認)
「夫婦同氏制の由来」(源法律相談所,2020)https://minamoto-kubosensei.amebaownd.com/posts/7649359/ (2021年2月12日確認)
「家父長制」(リベラルアーツガイド,2020)https://liberal-arts-guide.com/patriarchy/ (2021年2月12日確認)
ロイター編集「カトリック教会の女性司祭禁止は永久不変=ローマ法王」(ロイター,2016) https://jp.reuters.com/article/pope-women-idJPL4N1D326D (2021年2月12日確認)
ロイター編集「ローマ教皇が教会法改定、一部ミサ奉仕での女性の役割を明文化」(ロイター,2021)https://jp.reuters.com/article/pope-women-idJPKBN29H02W (2021年2月12日確認)

以下コトバンクより
「父系」「父系制」「家父長制」松村明監修「デジタル大辞泉」(小学館)
「家父長制」「百科事典マイペディア」(平凡社)
「父系」「家父長制」「宗族」『精選版 日本国語大辞典』(小学館)
「家父長制」「父権制」「父系制」「世界大百科事典 第2版」(平凡社)
「家父長制」「陳朝」「旺文社世界史事典 三訂版(旺文社) 
「宗族」「父系制」「父権制」「宗族」「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典」(Britannica Japan,2014) 
「父権制」「父系制」「日本大百科全書(ニッポニカ)」(小学館)
濱本 満「父権制」https://kotobank.jp/word/%E7%88%B6%E6%A8%A9%E5%88%B6-124245?fbclid=IwAR1WjhDVUEs7Nci6Qt98pIgUg-fWyumGfUq6bmSsOQpVKaWgj0s2VQCdDGI (2021年2月12日確認)
「父系制」https://kotobank.jp/word/%E7%88%B6%E7%B3%BB%E5%88%B6-124224?fbclid=IwAR0_-s6K3L0BlDW8Fslnxeq3aYdCP2EMpk2m5QHNcjLPLAZji7-w9yj5k60 (2021年2月12日確認)
中野卓「家父長制」https://kotobank.jp/word/%E5%AE%B6%E7%88%B6%E9%95%B7%E5%88%B6-465852?fbclid=IwAR02tcmwj_rnta_Z54DwWyfJGjlepswc5Ib2xtCcXBimZxmcBTY6qiY588I (2021年2月12日確認)
「宗族」https://kotobank.jp/word/%E5%AE%97%E6%97%8F-89532?fbclid=IwAR2cgT_vSjv0Z-7sTzBm_M2ocD8wW6SuTmgX07hBHTWHgoFg_KkaFP5I2Ho (2021年2月12日確認)
「陳朝」https://kotobank.jp/word/%E9%99%B3%E6%9C%9D-98726?fbclid=IwAR27oME0g5ywu6ckrDhGgx_L83RQu0_PbCwgHiKyJOsSh7peyaAyqvCbaGI(2021年2月12日確認)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です