ソビエト連邦における同性愛政策

 ロシア革命後は、(ソビエト連邦建国は1922年なので、厳密にはソビエト連邦ではない時期も含む)同性愛に限らず性に対して自由な論調があった。ソビエト連邦の女性革命家コロンタイは、「性欲を満たすのは一杯の水で渇きをいやすのと同じ」と自由恋愛論を唱えた(袴田,1989)(和田,1989)。帝政ロシア時代にはキリスト教的な価値観から禁止されていた同性愛も、1917年の十月革命後に合法となった。

 しかし、ここで言う「自由」には限定的な意味合いがある。彼らの思想の源にあるのはマルクス主義、つまり共産主義的な思想であり、従来の結婚様式や家庭等を封建的、ブルジョワ的だとコロンタイらは批判した(袴田,1989)。マルクス主義では「封建的」「ブルジョワ的」なものは「悪」とされる。1930年代半ばまでは「家族消滅論」が唱えられ、革命や内戦後の家族の崩壊現象が、家族の消滅や共産主義的共同体の生成として美化された(森下,1989)。

 自由恋愛に対するソビエト政府の態度が大きく変化したのは、スターリン時代以降である(袴田,1989)。1934年には、同性愛、特に男性同士の関係が犯罪とされた(エゴロフ,2018)。NKVDのヤゴダが、同性愛コミュニティがスパイの温床であると報告したからである(エゴロフ,2018)。更に、同性愛はファシズムと関係があるとプロパガンダされた(エゴロフ,2018)。数年後、ドイツでも同性愛者達がユダヤ人同様迫害されたが、ソ連国内では同性愛が禁止され続けた(エゴロフ,2018)。

 同性愛は、ソ連崩壊後の1993年まで禁止され続けた(エゴロフ,2018)。現在のロシア連邦には、「同性愛プロパガンダ禁止法」という法律が存在する。

 ソ連国内で同性愛が規制されていた一方、ソ連のスパイが同性愛者をハニートラップのターゲットにすることがあった(佐藤,2013)。東西冷戦時代には西側諸国が警戒し、英国や米国、カナダなど国によっては同性愛者を公務員として採用しなかったほどである(BBC,2017)(春名,2017)。イギリスで活動したソ連のスパイ「ケンブリッジ・ファイブ」に代表されるようなスパイにも、同性愛者、あるいは両性愛者がいた(春名,2017)。彼らは1930年代にソ連の工作にかかり、1950年代にイギリスでスパイ活動をしていた(春名,2017)

参考文献

オレグ・エゴロフ「ソ連でゲイとして生きるとはどのようなことだったか」(RussiaBeyond,2018)https://jp.rbth.com/history/81388-soren-de-gei-to-shite-ikiru?fbclid=IwAR3Xgx3tmnDwTCNMLGYJukMlDOwanoaYbMpUrSzXlyft4Eh8K8wdKkvxHC0(2021年1月31日確認)
「トルドー首相、カナダの過去の性的少数者差別を謝罪」(BBC,2017)https://www.bbc.com/japanese/42163713?fbclid=IwAR0qzcJK93YB-88amSmYdrBYiv_8HhudqfJXbtiBQe81siljG5qe0TOH4eU(2021年1月31日確認)
春名幹男『「お好きなトイレの使用を」――スパイの世界を変える「LGBT」』(HUFFPOST,2017)https://www.huffingtonpost.jp/foresight/lgbt_b_10622442.html?fbclid=IwAR0XRzZo9GY4Q9JhjRnP26Mqtxl0sMs7-nhTJeOlzivsvK5eXkaShTnnZ7Y(2021年1月31日確認)
佐藤優「交渉術」(文春文庫,2013年)pp.71~72
袴田茂樹「性文化」川端香男里・他編『ロシア・ソ連を知る事典』(平凡社、1989年) p.312
森下敏男「家族」川端香男里・他編『ロシア・ソ連を知る事典』(平凡社,1989年) pp.111~112
和田あき子「コロンタイ」川端香男里・他編『ロシア・ソ連を知る事典』(平凡社,1989年)p.224

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